自分を縛り上げて。

 吾輩は猫である。勿論嘘である。吾輩が猫の訳ないでしょうが。

 では吾輩は何であるかと云えば、吾輩は何事に拠らず考え過ぎてしまうばか者である。何も始めないうちからああでもない、こうでもない、といらぬ呻吟をした揚げ句、うわあ。まだ手も付けないうちからこんなに気持ち/精神が苦労するんならいっそこんなこたあしないほうがマシだァ。なんて思って、何もしないうちから諦めてしまう。

 本当に一事が万事こんな調子でとかく考え過ぎてしまう。取り越し苦労をするあまりに、自縄自縛となって身動きが取れなくなる。それが吾輩という人間だ。

 たといば歯科医院に行って治療の段。医師の必要な処置が済んだその後に〆、みたいな感じで歯科衛生士のうら若きお嬢さんに口内をちゅねちゅねと清掃してもらった後、果たして、その歯科衛生士さんに対して何と云って礼を申し述べるのが適当か? などとというごくありふれたことについてもやはり考え過ぎた揚げ句、身動きが取れなくなってしまう。

 そらまあ「ありがとうございました」と礼をいうのは当然で、それについては如何な吾輩とて考えなしに出来る。だが問題はその後に続く二の句だ。

 さっぱりしました/すっきりしました。

 といったあたりを繋げるが適当なのだろうけれども、考え過ぎる人間である吾輩はついここで、うへぁ。こんなうら若きお嬢さんに対して、面と向かってこんなことを口走ってしまって良いのだろうか。こんなうら若きお嬢さんにいろいろしてもらった後に「さっぱり/すっきりさせてもらった」と嬉しげに云い放つ、だなんて、まるで「あなたの手技によって私の肉体は快感を覚えたのです」と伝えているようではないか……? ここでそんな不用意な一言を云ったが為に、この歯科衛生士さんから変態と思われたらどうしよう……! うわあ! うわあ! ひゃあ!

 といった塩梅でモノを考えてしまって、まともな思考にならんのである。

 馬鹿じゃないかと思う。

 阿呆じゃないかと思う。

 くるくるパーじゃないかと思う。

 もしもこんなことを考えているのが知らない他人であれば、やあい。こんなところに考え過ぎの自意識過剰のばか者がいるよう。

 なんつって、大いに囃してやるところだけれども、自分のこととなるとそうもいかない。

 まあいずれにしても、そんな感じで歯科衛生士さんの前で二の句を継げぬままにもじもじもじもじ。その結果、すべてが面倒になって、どうも済みませんでした。と、その場には不釣り合いな、恰も謝罪しているみたいな曖昧な言葉を曖昧に述べて、逃げるように診察室を後にする。とても悲しい気分がする。

 まったく以て一事が万事こんな調子なんである。これをしたらこう思われるのではないか、こんなことをしたらああなるんじゃないか、もしもそうなったらとても嫌だなあ。あはぁ、そんなの嫌だからもういっそなんにもしないもんね。かなんか思って自発的に行動をしないで生きてきたからその結果、一度しかない人生をすっかり空費してしまった。取り越し苦労の果てに諦めることしかしてこなかった吾輩の人生。そこに価値などない。吾輩の人生にあるのは虫歯ばかりだ。くすすん。(了)

※投げ銭と致します。この先にはもう何もありません。パンドラの箱の中にあるのは領収証だけだと聞きました。

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