思考の棚ざらえ 2015#09

 江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 口先ばかりではらわたはなし。なんてな事が古くから云ってあるが、当節のインターネッツを閲していると、江戸っ子でもなんでもないのに口先ばかりが達者な人がたくさんいて、しかもこういう人たちは、その口先が元で災いを招いたりするとすぐさま「悪気はなかったんです」みたいな逃げ口上を打つので、なんというか、江戸っ子でもないのに口先ばかりではらわたが無いというのは、傍目にはずいぶんと卑怯者に見えるのだなあと思います。ちなみに僕はといえば江戸っ子ではないので、口先でパァパァなにか云っているときというのは大抵はらわたがあり、しかもそのはらわたは煮えくり返っていることがほとんどッス。

閑話休題

 大阪から遠く離れたところに暮らしているから、大阪都構想というのがいったいなんなのかよくわからないのだけれど、そんなに都になりたいんならなればいいじゃない、つーかいっそ、首都機能も大阪に持っていってくれて全然構わないし。と、思う。そうすれば東京都とその周辺に人々が無闇矢鱈に集まることも避けられ、ずいぶんと東京とその周辺が住みよくなると思う。どうせなら対外的な日本の公用語/標準語も関西弁にしてしまってよいと思う。昨今、テレビを観ているとそこから聞かれる言葉の八割は関西弁なのであり、さらにこの数年、関東圏のJD・JK・JCらはきまって一人称複数を「ウチら」と表現し、まるでかしまし娘のようになっているのだし。

閑話休題

 あっさりと 恋も命もあきらめる 江戸育ちほど哀しきは無し

閑話休題

 しかしあれですなあ、橋下徹氏というのは、会見の様子を見るだに、いつも逆ギレをしているように見えますなあ。

閑話休題

 『ブラタモリ』の新しいシーズンで新たにタモリ氏のパートナーを務めている桑子アナウンサー、番組の中でいつも楽しそうに笑うので観ているこっちもなんだか幸せな気分になるのでまことによろしい。やっぱり笑っている時間が長い人というのは断然素敵に見えますな。『ワラッチャオ!』のおねえさんだった人よなあたしか。

閑話休題

 けれどもまれに笑顔の醜い人、薄幸そうにしか笑えぬ人というのが確かにいらっしゃって、そういう人を見かけるたんびに、はて、この人はどういう家庭環境で育ってきたのだろうなあ、と、そんなことを思います。

閑話休題

 元X68000ユーザーとしては何とかシャープには頑張ってもらいたい、と願っているが、だからといってシャープの製品を進んで買ったり株式を購入したりということはとくにしません。口先ばかりではらわたはなし。

閑話休題

 時代の変遷と共にいろいろな職業が様変わりしたが、プロ野球のスタンドの売り子が総て若い女性になった、というのもそのひとつに上げてよいと思う。私が初めて球場で野球を観た小供の頃、七十年代の末の売り子は全員、むさい男性であった。それが九〇年代から徐々に女性が増え始め、世紀が変わる頃にはその比率は逆転、二〇〇〇年代の中ごろになると完全に若い女性の職場になってしまった。そうしてまた、この十年の間に売り子の顔面偏差値は大いに上がった。それも急峻に上がった。その頃から、スタンドにあってゲームそっちのけで売り子の写真ばかり撮っている客を散見するようになった。おのののかのような出自を持つタレントが現れるのもむべなるかな、である。

閑話休題

 売り子が女性にとってかわってから、球場におけるビールの消費量もずいぶんと上がっているのではなかろうか。可愛い売り子に目をつけ、明らかにその子からばかりビールを買っている助兵衛根性丸出しの輩をよく見かけるし、また、売り子の方もそうした客を”得意先”や”太い客”みたいに捉えているようで、その客がビールをちょうど飲み干したところへ上手い具合にまたやってくる。いちど、横浜スタジアムで、あんまりゲームが詰まらないものだからそうした客(三十歳ぐらいの男性二人連れの片一方)をずっと観察していたら、その客、ゲームセットまでに合計二十杯は同じ売り子からビールを購入していて、なんというか、こうして男は若い女にだまされケツの毛まで抜かれてしまうのだなあ、と思った。

閑話休題

 ブー笛おじさんとかいまごろどうしてるのかなあ。ほかにも横浜スタジアムのスタンドで一言も売り声を発さず、いなりのり巻き弁当の箱を掲げて立ち尽くしていた泉平の法被を着たあんちゃんとか。

閑話休題

 あれは一九九〇年四月十三日だったと思うが、東京ドームに『日米レスリングサミット』というプロレスの大会を観に行ったときのこと。早くから内野スタンドに着席してパンフレットを読むなどしていたら、通路後方からコーラの売り子(高校生か大学生ぐらいの男児)がグラウンド方向に向かって階段を下りてきた。東京ドームの内野通路の階段というのは、通常の階段よりも奥行きが広い為にひと足で降りるのが難しい。そこをどんどんどん、と雄々しく大股で降りてきたコーラ売りの彼、丁度私が座っていた列の段で見事に前のめりに転び、立ち売り箱に満載されていたコーラを通路にぶちまけた。方々の観客から「あーあ、あいつ今日のバイト代パーだな」などと暖かい声がささやかれる中、事態を聞きつけ駆けつけてきたドームの関係者らしき背広姿の男の人と共に、泣きそうな顔でこぼしたコーラをぞうきんで拭いていた。あの彼も今ではもう四十過ぎのおっさんだろう。

閑話休題

 昭和が終わる頃、川崎球場でロッテ対日ハムのゲームを観戦していたら、どこかの高校の制服を着た女子高生が立ち売り箱を首から下げ、恥ずかしいのだかやる気が無いのだか、やたらとか細い声で「お好み焼きはいかがですか」と売り歩いていた。当時私も高校生であまり金を持っていなかったが面白そうだから一枚購入してみた。女子高生はやはり恥ずかしいのだかやる気が無いのだか、たどたどしい手つきでアルミホイルに包まれたお好み焼きを私に手渡し、いまじぶんが置かれている状況の総てに戸惑っているかのような曖昧なお辞儀をして去っていった。あれ? あの子の持ってる立ち売り箱にマジックで”川崎球場名物 お好み焼き”と下手な手書きで書いてあるが、はて、お好み焼きが川崎球場名物だとはついぞしらなかったわい。と思いながら食べたお好み焼きは見事に芯が冷えきっていた。こうして思い返してみると、たとい終わりの頃とだったとはいえやはりまだ昭和だったのだなあ、いろんなことがいい加減で未成熟だったのだなあ、と思う。

閑話休題

 で、このときの女子高生の売り子が今の私の嫁で、みたいな、2ちゃんねるによくあるような話はまったくありません。想像するにあの子、たぶんお好み焼き屋の娘かなんかで、手が足らないからと急に借り出されたんだろうなあ。そのくらい、戸惑ってる感じだったもの。三十年近くたってまだ憶えているぐらいに違和感のある売り子だった。にしても川崎球場って面白かったよなあ。テレビじゃ見れない川崎劇場。

閑話休題

 録画しておいたテレビドラマ『64』を全話一気に観たがいやまあ面白かったなあ。しかしピエール瀧氏ってのあ不思議な人だよなあ。なにをやってもどこにいても違和感がなくて、しかも相応以上の存在感を醸し出しちゃうんだよなあ。しかもなにをやっても軽々とこなしてしまうように見えるン。たとえて云うなら、Tシャツに半パンサンダル履きで談笑しながらエベレストに軽々登頂しちゃう、みたいな感じ。不思議な人だよなあ。『ピエール瀧のしょんないTV』もすげく面白いしなあ。

閑話休題

 いま”ラッスンゴレライ”をおもしろがって盛んに云っている小供たちというのは、大きくなってもこのフレーズや8.6秒バズーカに思い入れを持ったりするんだろうかなあ。自分の話で恐縮だが、吾輩などは幼稚園から小学校に上がる頃に一所懸命に観ていた伊東四郎&小松政夫両氏の数々のフレーズを、あれから三十五年が経過した今尚おもしろがって使い、またこの両人がライブに出るとなると足を運んだりしているのだが、いまの小供たちもそうなるのかなあ。どーかひとつ、そんなふうに笑いを大切に思って成長してくれるとよいのだけどね。ズンズンズンズンズンズンズンズン小松の親分さん。福岡県出身鼻くそ部屋。

閑話休題

 だから僕は未だにお正月に『春の海』が聴こえてくると、なんだか面白い気分になってしまうのであります。つん、つくつくつくつん。

閑話休題

 ではではこんなところでまた。一年中、五月の爽やかな陽気だったら我が国はもっとよい国になってたかも知れませんね。


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