面白きことも無き世を面白く

 面白い。というものは取り扱いの厄介な代物でなかなかにその実態は掴みにくいものである。

 昨今のテレビ番組についていえば、たといばバラエティとカテゴライズされる種類の番組なぞはいまや内容的にとんでもなくレベルの高いものになっている。タイトルロゴからスタジオセットなどの手が込んでいることは云うに及ばず、またその内容そのものについても”芸人”と自ら称する、至極愉快な会話をあたかもショースポーツのようにテレビの中で展開することを生業とする人々がその磨き上げられた話術の粋を日夜、遺憾なく発揮し続けている。昭和の昔から連綿と築き上げられてきたテレビ放送の伝統に法った、まことに高度且つ贅を尽くした番組がいまも数多く放送されている。

 しかしながらじゃあそうして贅を尽くしてあるからいまのテレビ番組が押し並べて面白いかといえばぜんたいそのようなことはなく、寧ろ「なんだかテレビ画面の中だけは未だにバブル景気が終わってなみたいだなあひたすらに騒いでて」なんて観ていて思ってしまって空疎な気分、テレビの中の騒乱とそれを観ているこちら側の沈着との間にひどい乖離を覚えて白けてしまうことが間々ある。

 そんな空疎な/白けた気分になったときに不図、テレビのチャンネルをBSに切り替えたとき、火野正平がただただ自転車を駆って田舎道を走るだけの番組にぶつかったりするともういけない。色悪めいたにやついたおっさんがゼェゼェハァハァ云いながら田舎の道を自転車で走り抜けるだけの衒いの無い番組なのにこれが実に面白く観られてしまう。気がつくと三十分の間じっくり腰を落ち着けて観てしまっている。どころか至極面白い、と思って観てしまう。

 果たして”面白い”とはいったい何なのだろうか。

 贅を尽くして作られた番組に空疎を覚え、衒いなく作られた番組に充実を覚える。しかし作り手の手数は明らかに前者のほうが余計にかかっている。それだのに視聴者の印象はその手数に比例してはいない。明らかに手数がかかっていない番組の方をより面白いと感じてしまう。なにこれ面白いってマジ厄介。

 そうしてまたこれはテレビの場合に限らないとも云える。”面白い”という価値基準を持つものには須く当てはまるのじゃないだろうか。たといばインターネッツなども間違いなくこれに相当するように思う。

 手の込んだ、商業アニメと見紛うようなアニメーション動画よりも、その辺にいるような小猫がちょねちょねと歩き回るだけ、みたような、スマホで簡易に撮影されたと思しきショート動画のほうが再生回数が遥かに多くなったりするのが当節のインターネッツだ。

 考えるだに切なくなってくるがこれが事実だ。"面白い"を価値基準に持ってしまったが最後、かけた手数に比例して評価が高まるなんてことは絶対にない。

 さらに云えばSNS以降、いまやテキストベースでも同様の状況になってしまった。持てる知識と気の利いた云い廻しを総動員して、手間暇をかけて書き上げた文章が「長えよ」と断罪されて閲覧者に読まれることなくスルーされる。一方で、その辺の女子高生が上目遣い&アヒル口全開の、まるで世の中を舐めきったみたいな自撮り写真と共にツイートする短い「おはよー」の一言のほうが断然多くの人々の間に流通してしまう。

 やはり考えれば考えるほど切なくなってくるがこれが現実であり事実だ。これが”面白い”ということの実像だ。考えるだに腰砕けになるような悲しい話だが、どう抗ったところで現実は動かしようがない。人は皆、現実と折り合いをつけて生きてゆくしかないのだ。

 ならば、なんとする。”面白い”という評価を効果的に的確に我が物とするには果たして。

 既に我々は現実から「かけた手数と面白さは比例しない」ということを教えられている。どころかSNSに見られるように手数をかけないほうが善な結果に繋がるという事例すら見知っている。

 ならばこれを真理と思ってこれに従えばよい。徹底的にあるいはテッテ的に現実と事実に従ってやることが”面白い”という評価を我が物とするために必要な方策だと考えるのが筋だ。

 そういうわけだから私は決めた。私はここに大いなる決心をした。

 向後、私はものを作るに当たって成る可く力を入れないようにしてゆこうと思う。成る可くなんにもしないで人前に提出をしようと思う。

 まずはその手始めに、近いうちにこのnoteという場でなにも書いていないテキスト・ノートを作成し広くインターネッツ世界に公開、そうしてその何も書いていないテキストに十六万円ぐらいの値段をつけて販売しようと謀っている。何しろ手数がなんにもかかっていないのだがら、これはもうぐんぐんに売れるに決まっている。JKの「おはよー」よろしくすぐさま人々に膾炙する筈だ。そうなったらもう大変ですよあーた、次から次に十六万円ずつが振り込まれてくるのでありますかしてふふふふふ。笑いが止まらないったらひひひひひひ。斯くして私が巨額の金銭と共に”面白い”に対して勝利者となる日はぐんと近付いたのでありますうふふふふふふ。うふふふふふふ。うふふふふふふふふふふひひひ。(了)

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この先にはもう何もありませんが折角なんでこの文章は投げ銭と致します。十六万円までは要りませんですけどよかったらなんかください。

ぼくのホームページ(ザ・ガーベージ・コレクションV3.0以降)もよろしくネ

 

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