思考の棚ざらえ・3

 ぼんやりと生きているうちに色々と取り返しのつかない年格好になってしまいました。すっかりだめな感じで人間が固まってしまいました。最早ぼんやりと生きるのが私の生き方/ライフスタイルになってしまっているので、このまま末期に至るまでぼんやりとし続けようと誓いましたところです。

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 窓を全開にしたシャコタンみたいな乗用車から大音量で聞こえてくる音楽と云えば、低音が異様に利いたヒップホップ的な曲や、エグザイル的な悪そうな奴はだいたい友達な感じの曲、と相場は決まっているものだけれど、ああいう騒がしい自動車を目撃するたんびに、あすこから大音量で聞こえてくるのが『アイーダ』みたいなマジ歌曲、あるいは吉幾三『ドリーム』みたいな曲だったらカッコ悪いだろうなあと思います。すんみなれたー わがやにー。

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 そういえばあれはいまから十年ぐらい前か、近所の駅前を歩いていたら、解りやすいヤンキーが乗車したビッグスクーターから、浜崎あゆみが歌う『卒業写真』が大音量で聞こえてくる、という状況に遭遇して、笑いをこらえるのに苦労したことがあったっけね。やーさーしーい めーをー してーるー。

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 九十年代からゼロ年代の二十年を経て、世の中のあらゆるデザインがダークというかシックな色合いへとすっかり変わってしまったのに、テレビのバラエティ番組はひたすらに派手派手しく、まるで八十年代が未だに続いているかのように作ってあって、なんつーか、もう時代の先端には居ないんだなあテレビは、と思います。自分なぞは"ドリフVSひょうきん族"に間に合っているようなテレビっ子世代の尻尾ンところな年格好だから、未だにだだらにテレビを観てしまうけれども、若い人はだだらな感じ(つまりは日常的に)にはもう観ないだろうなあ。

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 データの受け渡しはどうしよう、となったとき、咄嗟に、CDに焼いて、と思ってしまって、嗚呼。もう僕は時代に遅れてしまった。クラウドやUSBメモリを思い浮かべる前にCDが出てくるようでは最早手遅れ。自分は旧世代の人間になってしまった。と思って愕然としました。いずれ、本当に時代に取り残されてしまうのでしょう。最先端の前では過去の経験など糞の役にも立たない。クラウドを便利に使う人に、嘗てデータの保存メディアがカセットテープからフロッピーディスクに変わったときの感激や、CD-Rが自作出来てしまったときの衝撃を話して聞かせたところで益体も無いことだ。自分もいずれ本当に時代に付いていけなくなるときが来るのだろうなあ。嫌だなあ。パソコンの使い方が皆目わからず、それでも使わねばならぬと哀しそうな顔でディスプレイに立ち向かっていた、あの日のご高齢の皆さんのようになる日が来るのだろうなあ。嫌だなあ。まったく嫌なことだなあ。

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 そうは云っても台風の時に工藤夕貴のことをを思い出さないのは自分が生きていたこれまでを否定することだと思うんだな僕は。

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 多元宇宙のどこかには未だに世界に冠たる電気街のままの秋葉原があるのだと思う。石丸電気もラオックスもヤマギワも元気に営業を続け、AKBを始めとするアイドル的なものがけして寄りつかないような秋葉原が、別の空間に存在しているのだと思う。きっといまの秋葉原というのは、粗忽者の時代旅行者がなにかやらかした結果、時空が捩れて出来上がった空間なのだと思う。電気街のままの秋葉原では未だにIBMがビッグブルーのままにパソコンを作っているはずだ。

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 これだけ時代が進んだ現代でも、若い人たちが盛り上がるときの掛け声は「イェーイ」なのね。そこだけは三十年前と何ら変わっていない。高島忠夫から℃-uteに至るまで皆一様にイェーイ、つってる。

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 メリー・ポピンズ的な感じで空から桐谷美玲が舞い降りてきて「好き」と云ってくれたりしないかなあ。という、なんだか、ずんの飯尾氏の漫談みたいな都合の良い空想ばかりしているうちにすっかり歳を取ってしまいました。

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 秋葉原の時空の捩れネタ、は以前にも書いたかも知れないけど、ほんとに書いたかどうか憶えてないからまあいいや。

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 お金というのはまことに便利なものであるけれども、使うと使った分だけ無くなってしまうのがまったくけしからんと思う。この唯一にして最大の欠点が改善されれば、お金はますます至便なものとなるだろうから、是非とも頭の良い人たちに何か対策を考えて欲しいものと思う。

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 ではこんなところでまた。朕のホームページ(ザ・ガーベージ・コレクションV3.0以降)もよろちくネ。

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