後悔を先に立たせて後から見れば

 「小さなことを積み重ねていくこと。それがとんでもないところへ到達する唯一の方法」

 かのイチロー選手の言葉である。なるほど。と首肯するしかないパーフェクトな言葉である。これをイチロー選手が云う、というのがまたなんともいいよね。

 イチロー選手を引き合いに出してから自分の話をするのはまことに気が引けるのだが、この言葉を思うたびに、嗚呼、してみりゃあ自分なぞは、いったいどれほどとんでもないところにまで来てしまったのだろう、と暗澹たる心持ちになる。

 イチロー選手が単打を、将又、日々の小さな鍛練を積み重ねることで人生を前進させてきたのだとすれば、私なぞはその反対だ。なにもしない。という事をこれまで積み重ねてきた結果、人生を著しく後退させてしまった。

 たといば、街を歩いているとき。あの横断歩道まであと5メートル、というところで青信号が点滅し始めた! なんてなときに、私はきまって横断歩道の前で停止、そのまま次の青信号まで待ってしまう。

 点滅の間に小走りになって横断歩道を渡ってしまう、なんてことは絶対にしない。どころか、ふふん。横断歩道をいちどくらい遣り過ごしたところで大して代わりはないさ。なんて心中で嘯いてから、小走りで往来の向こうに駆けていく人々を、まるで競争社会の被害者であるかのように思って、憐れむような目で見つめる。

 信号が点滅している間に横断歩道を渡る者と立ち止まる者。その差は僅かに三分程度である。ほうら、たかが三分じゃん。

 と、楽観的に考えたところで不図、イチロー選手の言葉が頭を過る。

 「小さなことを積み重ねていくこと。それがとんでもないところへ到達する唯一の方法」

 うぐぐ。そうか。ほんの僅かな差とて、積み重なればいつしかとんでもない違いとなって現れるのは必定だ。そうだなあ、されど三分、とも云うしな。

 三分の違いも十回積み重なればその差は三十分に拡がる。百回になればその差は三百分となって都合五時間。五時間あれば歌舞伎だって昼の部が丸々観られますよあなた。

 ということは、だ。

 私と同じ回数だけ点滅信号の際に小走りして渡り切る人が居たとしたら、私とその人との間には、それだけの差が生じているということではないか!

 百回の差なら歌舞伎の昼の部ぐらいの違いで済むが、これが千回、万回となったら果たして……。

 うひゃあ!

 怖いいいっ!

 ひょっとすると自分の人生はもう取り返しのつかないところに来ているのではないだろうか。市民マラソンで云えば足切りされる寸前をのろのろ走っている状況なのじゃないだろうか。もう人生のゲームオーバーがそこまで迫っているんじゃあないだろうか。いやいや、それどころかもう既にゲームオーバーを迎えているんじゃあないだろうか……。

 なんて思ってしまって急に恐ろしくなってきたものだから、ようし。

 そうして恐れてばかりもいられない。今さら手遅れかも知れないが、これから少しずつでも遅れを取り戻していこう! 向後は点滅信号に遭遇したらきっと小走りになって渡る! 渡ってみせるのだ!

 と、心に誓ったすぐ後、不図した用向きが出来て外出をした。するとどうだ、最初の横断歩道でいきなり点滅信号に遭遇したではないか!

 ほほほ。これは吉兆。人生をやり直す始めの一歩がすぐさまやって来るとは!

 そう思って意気揚々と小走りで駆け出した瞬間、背後から、JKが運転するママチャリ(しかも辺りは暗いのに無灯火)が猛スピードで突っ込んできて危うく轢かれかかったので、うはあ。これは剣呑。命あっての物種。たとい点滅信号を渡って人生の差がほんのちょっと縮まったところで、死んじまっちゃァ元も子も無ぇわさ。と、浅香光代みたいな口調で思ってから、やっぱりこれからも点滅信号は遣り過ごしていこうと改めてそう決めました。どうぞ皆さん先を行ってください。(了)


※投げ銭と致します。この先にはもう何もありません。あるとすれば地獄だけです。

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