二年半ぐらい秋が続けばいいのにな

 あー、そういやnoteも半年くらい書き込んでなかったかな。と思って前回の更新がいつだったかと確かめたら驚くなかれ去年の六月で、一年五ヶ月も前のことだったので僕は大変に驚いた。まるで他人事のように驚いた。わ、とか云って驚いた。嘘でしょ、と自問自答をしたりした。しかしこれは事実だったので、そうかあ、一年五ヶ月も前かあ、とすると、その時に生まれた赤ちゃんも今では掴まり立ちや一人で立つ事ができるようになっている、そんな長きに渡る期間、僕はこのnoteを知らんぷりしていたのか、と思ったが別段反省の心は浮かんできませんでした。そう、全ては出来心。この世の半分は出来心でできています。残りの半分はなんだかよくわからないものでできています。河童の尻子玉とかそういう、よくわからないもので。

 閑話休題

 暇だし陽気もいいし紅葉の季節でもあるし、と思って高尾山に行ったんである。高尾山にゆくのは小学校三年の遠足の時以来だからかれこれもう三六年ぶりのことになる。その時の記憶など完全に消えてしまった、と思っていたのだが、今回ケーブルカーに乗った刹那、一つの記憶が蘇った。当時の同級生の誰かが「ケーブルカーって本当にドアが斜めに取り付いてるんだな。漫画で見たから嘘かと思ってた」と云っていたのを急に思い出した。こういう、普段けして思い出さない記憶というのはどこにしまわれているんだろうか。つーか、よく普段の生活の中、関係のない時にふと出てきたりしないものだと感心する。きっともっといろんなことが脳の中には仕舞われているんだろう。しかしこうして自分でも思い出そうともしない記憶、忘れている事すら忘れている記憶って、本当に自分の記憶だと云えるんだろうか。実は烏天狗のものだったりしないんだろうか。

 閑話休題

 やはり実績を見ぬうちからダメだろうと推察をしたり、即断をしたり、見限ったりしてはいかんなあ、と、ファイターズ栗山監督の正力松太郎賞受賞に思うのでありました。しかしあの頃、栗山が監督に就任、と初めて聞いて、ファイターズの今日あるを想像した人はほとんどおらんだろうよね。つまりはあれだ、もう監督も球団を構成する要素の一つ、パーツの一つ、ということになったんだろうなあ。星野仙一や野村克也的な、球団全体を統括してしまうような、球団の最上位にいるような全権を持ったが如き存在それが監督、という時代は終わったのだろうね。監督もGMや球団のの下に属する一役職で現場監督としての権限しかない、というね。それをやれたラミレス監督だから我がベイスターズもクライマックスに行けたのだろう。

 閑話休題

 金本監督はいかにもやれなさそうだ。なんか昭和の監督みたいだものあの人。

 閑話休題

 歳をとるというのもそんなに悪いことばかりではなくて、たといば『勇者ヨシヒコ』の仏が、三十年以上も昔のテレビドラマ『西遊記』で高峰三枝子が演じていたお釈迦様のオマージュであろうということがすぐにパッとわかる、みたいなこととかそういうのがあるのは結構いいよ。

 閑話休題

 しかし『勇者ヨシヒコ』って多分本当は『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』だよね、みたいな話をすると大抵嫌われるからしない方が良い。なにこの五月蝿い自慢したがりのスノッブ、みたいな感じで場がしらけるのでね。こんな小うるさい馬鹿なんかいますぐ死ねばいいのに、みたいな目で見られるからね。

 閑話休題

 ではまた今後ともよろしくお願いいたします。

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