迷宮入り。

 極論や結論めいたことを鼻高々に云ってしまうのは馬鹿の所業に他ならないけれども、そうと理解していながらも僕は敢えて「インターネッツとは検索のことである」と鼻高々に云い切ってしまう。だってそうしないとこれからする話がうまく進まないのでネ。

 探せばなんでも見つかるのが現代インターネッツの大きな利点のひとつだ。ググレカス。なんてな言葉が雑言として当たり前に通用するぐらいに検索が占める比重は大きい。もしもインターネッツの検索性が低ければ、例の割烹着を着て研究をするオボちゃんにしても、過去の所業がみんなに探され世の中に暴かれることもなく、名実ともにSTAP細胞は、あります。となったのやも知れんのである。

 そうして探せばなんでも見つかるインターネッツだけれども、同時に、現代インターネッツで検索しても見つからない情報については、世の中に存在しないことと同じ、といういささか乱暴に過ぎる側面も産まれているように思う。

 たといば先般、僕は突然として嘗ての有名芸能人である上岡龍太郎師のことが懐かしく思い出されてしまったものだから、その心に従ってインターネッツで上岡師についてくんくんになって検索をぶちかました。検索枠に"上岡龍太郎"と入力してから待つこと数秒、師に関する膨大な情報が表示された。Wikipedia、画像、動画、テキスト、ブログ記事、師に関する様々な情報がそこに表示された。

 ところがそんな膨大な情報の中にあって、僕が真に欲しかった情報が幾ら探しても見つからない。具体的には、西暦二〇〇〇年の三月、師が芸界からの引退を記念して新宿・シアターアプルで開催した独演会についての情報を求めていたのだが、これがてんでヒットしない。その独演会を客として観覧していたから、その情報をいま一度確認することで、当夜の記憶をまざまざと呼び覚ましたかったんである。だというのに。

 ならばと会場であるシアターアプルから検索をかけてみたが、同所は二〇〇八年で閉館していて結果、さしたる情報が得られなかった。だめじゃん。

 それからしばらく時間を費やし、いくつかの検索サイトと取っ組んでみたが結局、いっかな成果も得られなかった。独演会の開催から既に十年以上が過ぎ、我が手許にも最早、当日のチケット半券やチラシの類いは残されていない。

 そうして欲しい情報が見つからない状況でオタオタして居るうち、僕の心中に少しく恐怖が沸き起こってきた。

 なんでも見つかるはずのインターネッツにあって、これほど情報がヒットしないということは、自分の記憶に誤りがあるのではないか?

 師の独演会に行った、というのは自分が作り出した偽の記憶で、実際にはそのような独演会など開かれていなかったのではないか?

 そうなのかも知れない。現在過去の別を問わず、あらゆる情報が集まっているインターネッツにあってまったく見つからないということは……やはりそうだ! これは偽の記憶だったのだ! インターネッツが間違っているはずがない! まちがっているは僕のほうだ!

 なんてな塩梅でいま、インターネッツの所為で自分の記憶が揺らいでしまったのでとても困っています。とても恐怖しています。なんだか、長く信じてきた自らの記憶がインターネッツによって否定されたみたいで、うひゃあ、怖いいいいッ。(了)

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