寝ては夢 起きては現 幻の

 明晰夢。なるものを見る人があるらしい。

 睡眠の最中に見る夢。あれを見ているときに、その夢ン中で「ああ。自分はいま夢の中の世界に居るのだな」と自覚出来、その自覚の元に夢の中に於ける自らの振る舞いを随意にコントロール出来るという。

 なんたら羨ましいことであろうか。夢判断/精神分析の大家であるフロイト先生が云うには、夢というのは、普段の暮らし向きにあっては無意識のうちに抑圧している下卑た/反社会的な願望を充足させる為に見るものだという。だとしたら、これあ夢だ。なんて思って自覚的に振る舞えるというのは、つまり、下品な願望を充足し放題ってことであり、んあー、すげく羨ましい。

 残念なことに朕にはそのような能力が一切ない。それだけに明晰夢の能力があればなあ、という思いは募る一方だ。

 先日も夢ン中に、メリケン製のテレビドラマ『HOMELAND』に出演しているそれはそれはすんごい美人のモリーナ・バッカリンが素っ裸で登場、ベッドの上から酷く蠱惑的な表情/態度で、朕に向かっておいでおいでをするという嬉しい場面を見た。

 が、生来、意気地の無い朕は、夢ン中だというのに、平生からそうであるようにいつまでもいつまでもまごまごしてるばかりで一切の手出しが出来ない。どころか、そんな状況にいつしか逃げ出したいような心持ちにすらなってしまっていた。夢ン中なのに。現実でこんなこと有り得るはずなどないのに。平生と同じようにウジウジしてる朕。やあねぇ。

 そうしている間に憐れ、朝を迎えて目が覚めてしまったから夢の時間はジ・エンド。ウルトラ美人でしかも素っ裸のモリーナ・バッカリンは文字通り夢の向こうに果敢無く消えてしまった。

 斯くして目覚めた寝所には朕ひとり。とても哀しい。とても切ない。夢の中ですら大胆に振る舞えずいじいじと状況から逃げ回る自分の情けなさにほとほと嫌気が差した。

 せめて、せめて眠っている間に見る夢の中ぐらいでは雄々しく振る舞いたい。自由に、闊達に、大胆に過ごしてみたい。英雄のように、色悪のように、極悪人のように他人の目や世間体を気にすることなく振る舞いたい。嗚呼、明晰無が見られたらこの願いは成就するのに!

 と、ここまで考えて、不図、いや待てよ。と、反対の考えが沸き起こってくる。

 朕という人間は、いじいじと暮らしている意気地無しであると同時に、酷い粗忽者でもある。

 どのくらい粗忽者かといえば、たといば、横断歩道の信号を見落としてしまってよく車に轢かれそうになる。

 たといば、自転車の鍵穴に自宅ドアの鍵を挿し込もうとして押し込めずあがいてしまう。

 たといば、せっかくエコバッグを持っていったのに五円を支払ってビニルの買い物袋を買ってしまう。

 たといば、ラーメン屋でギョウザを頼んだつもりで小籠包を頼んでしまったことに自分で気付かず、目の前に小籠包が出てきたときにギョウザじゃないと思って激しく狼狽える。

 たといば、街で音楽を聞こうとイヤフォンを耳の穴に挿し込んでスマホの音楽プレイヤーを再生、したらイヤフォンの端子をスマホに繋いでなかったものだから周囲に音が聞こえてしまった、ことにしばらく気がつかない。

 その他、人の名前を間違える、さっき名刺を渡したばかりの人にまた名刺を渡す、PASMOのつもりでTポイントカードを何度も自動改札に押し当てる、Tシャツの裏表を間違える、マスクをしたまま鼻をかむ、京浜東北線に乗ったつもりで東海道線に乗ってしまって辻堂に着くまで気付かない、おしっこがしたくて立ち上がったのに台所に行って冷蔵庫を開けている……とまあ、枚挙に暇がない。

 斯くの如き粗忽者である朕がうっかり明晰無など見てしまったら果たしてどんなことになるか。

 夢と現実の区別がつかなくなるに決まっている。ちょっと面白いような状況にぶつかるたびに、仮にそれが現実世界での出来事であっても、あはははははは。と粗忽に破顔して「これあ夢だ。こんなに愉快な状況なんて夢に決まっている。またもや自分は明晰無を見ているのだ。うほほ。どうせこの状況は夢なんだから、いっそ好き放題にやってやれ。願望の充足をやったれ、やったれ」なんて粗忽に嘯いて、現実社会では到底許されない乱暴狼藉を働いてしまってその結果、警察のご厄介になって新聞種となり、ご近所の皆さんから前科者との謗りを受けてハブられるに決まっている。

 よかった。本当によかった。明晰夢が見られる体質じゃなくてまじよかった。たとい明晰夢が見られたって警察のご厄介になってしまってはあとが大変だもの。

 そういうわけなので、やっぱり朕は向後も、たとい夢ン中であってもいじいじしながら暮らしていこうと改めて思いました。そういう星の下に産まれましたんですよ朕は。以上、ご静聴ありがとうございました。(了)

※投げ銭でございます。よければどうぞ銭形平次のようにぶつけて寄越してくださいな。

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