思考の棚ざらえ・10

 こんにちわ。こんばんわ。おはようございます。おやすみなさい。お元気ですか。僕はといえば相変わらずいろんなことを考えては酸素を吸い込み二酸化炭素を吐き出すそんな毎日です。

閑話休題。

 取り敢えずいま私がこの世の中に訴えたいことといえば、車道の右側を爆走してくる自転車の大変に危険なことであって、ああいう危険者に遭遇するたんび「あいつ、明日、目が覚めたらグレゴール・ザムザ的な感じでルンバに変身して死ぬまで掃除だけをして生きるようなそういう生き物になっちゃえばいいのに」と思います。危ねぇっつーんだよマジで。すれ違う際にも絶対に自発的に避けないしあいつら。

閑話休題。

 この時期になると毎年思うが、街中で女子高生の集団を見かけたとき、その中に何人か、もうすっかり大人に育ち上がってしまっているような生徒さんというのがやはりいて、そういう生徒さんを見ていると、なんだか、大人の女性がJKのコスプレをしているように見えてしまうんだけど、そうはいってもその生徒さんというのはまだ紛う事無き本物の女子高生なのだよなあ、と思って、いつも妙ちきりんな気分になるのだけれども、これを人に話してもまず同意されないので僕はとても悔しいです。

閑話休題。

 相撲のことはよくわからないのだけれど逸ノ城関ってのあ自分の才能に対して無頓着な感じがするのがいいよね。天才ってああいう「普通にやってるだけなのに自然と他の人より優っちゃう」ような感じなんだろう。

閑話休題。

 凶悪犯がSNSにプロフィールを公開していた。なんてな報道を閲するたんびに妙な気分になるのだけれど、この「妙な気分になる」というのはつまるところ、自分がまだインターネッツを特別なものだと思っているからそう思うんだろう。LINEいじめとかをぐんぐんにやっているようなお若い皆さんにとってはまったく当たり前の報道なんだろう。SNSにプロフィールを公開するなんてのは、家にテレビが映るというのと同じようなまったく日常の感覚なんだろう。吾輩なんぞはインターネッツが無かった頃に子供時代を過ごし、それが世の中に出てきた黎明期の熱狂を知っているだけに、却ってそこから意識が抜け出せないン。インターネッツって日常の向こう側にあるモノとまだ思っちゃってるン。

閑話休題。

 かわいい歯科衛生士のおねえさんが歯のクリーニングをしてくれる際、自分の頬におねえさんのおっぱいがちょこっと当たった、ぐらいのことで、男というのはその後結構頑張れるものなので、困っている男の人を見たら、女の人はちょっとでいいからおっぱいを触らせてあげると良いと思う。

閑話休題。

 まるで半裸のような衣服を纏い胸の谷間をぐんぐんに見せつけながら電車に乗ってくるような若い女性は増えたがその一方で、公衆の面前でも平気でおっぱいを放り出して授乳をするような母親はいなくなった。果たして人類は進歩しているのか退歩しているのか。どうして見えそうで見えない現代のおっぱいはエロくて、よく見えた昔のおっぱいはエロくなかったのか。世界は不思議に満ちている。

閑話休題。

グローバルスタンダードに反旗を翻し、高度経済成長の頃の我が国の成功を範として年功序列を更に推し進める。なんてな会社があったらやっぱり現代からスポイルされちゃうのか知らん。年功序列とか終身雇用とか護送船団方式ってやっぱ日本人に合ってた良いやり方と思うんだけどなあ。”居眠りしながら盲判 それでも社長に なった”なんてな『無責任一代男』みたいな話ってのあ、いまやアンチテーゼとしても機能しないぐらいな感じになっちゃったのかも知れないなあ。世知辛くっていやだなあ。

閑話休題。

 つーか鎖国しようぜ鎖国。わずか百五十年前までやってたんだからまたやろうぜ鎖国。止そうよ世界と競争するなんてそんな野暮なこと。泰平の眠りを貪ろうよ。

閑話休題。

 やっぱり物事には格というか、雰囲気というか、イメージみたいなものというのがあって、たといば江ノ電であればサマになるような物語であっても、やっぱり世田谷線では駄目なんですわね。共に同じようなスタイルの電車でもやっぱり江ノ電と世田谷線では似て異なるんですわね。そうしてまた、世の中というのはそういう格みたいなものを元にわりといい加減に決まっちゃってたりするんですわね。

閑話休題。

 ではそんなことでまたいつかお会い出来たらいいですね。明日の朝、どうかあなたがルンバに生まれ変わりませんようにと僕は切に祈っています。

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 僕のホームページ(ザ・ガーベージ・コレクションV3.0以降)もよろしくどうぞ。労多くして実り少ないけれども、世界そのものを作る面白さがありますよホームページ作りには。

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