みんな、立派なママじゃん!
「まっま~」と長男(1歳)が私に呼びかける。
「パパよ、パパ。パッパ~よ」と応えながら、心の中で自分自身に問いかける。
私は本当は何と呼ばれるべきなのか?
混沌とする状況の中、私は今日から始まる新年度の保育園に長男を送り出した。今までの様々な災害や事件の最中に、あるいは後に、長女・次女を預けた時の不安な気持ちを思い出す。手を離すことの心細さ。やるべきことをやれているかどうかの心もとなさ。
このエントリーの表題は、『おジャ魔女どれみ#(シャープ)』の最終回で、涙を流した春風どれみが仲間たちにかけた言葉だ。
それは、藤原はづきが、妹尾あいこが、そして瀬川おんぷが、立派なハナちゃんのママであることを意味している。
もちろん先々代の女王が言うように、彼女たちは血のつながりという意味での親ではない。しかし、だからこそ、その言葉は同時に私たちへの呼びかけだったのではないだろうか。
「まっま~」と長男が私に呼びかける。
そうかもしれない。
誰もが少しだけ「ママ」なのかもしれない。
性別も年齢も、パートナーや家族の有無も、ましてや子どもがいるかどうかなんて全然関係ない。誰もがいつでもわずかでも「ママ」と呼びかけられる可能性があるのなら、それだけで誰もが少しだけ「ママ」なのではないだろうか。
だから、先の見えない未来に立ちすくみ、いまは不安を抱きしめているあなたへこの言葉を送ります。
「みんな、立派なママじゃん!」