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すごくわかりやすい、琉球・沖縄史の基本の基本

こんにちは。

沖縄は独自の文化や歴史があるって言われていますよね。

その独自の文化に魅了されて毎年観光にやってくる人や、移住してくるひとも多い。

でも、その「独自」ってなんでしょうか?

今回は、歴史について。

琉球王国、沖縄戦、日本復帰、昔は中国の属国だった? 復帰前はなんだったの?

などと、断片的にはいろいろありますが、今回は、5分で理解でき、友達にも5分で説明できる方法をお伝えしたいと思います。
沖縄の歴史の基礎の基礎です。

沖縄の歴史を説明する時のポイントはたった5つです。できれば、ついでに年代も覚えちゃった方がいいですが、とりあえず、「なるほど、こんな歴史の変化があったんだ」と理解するだけでも大丈夫!

ひとつ目は、

1429年 琉球王国の誕生

それまでは、北山、中山、南山 と三つに分かれていたのを尚巴志【しょうはっし】が統一します。この時日本は室町時代中期、南北朝が統一された時と、応仁の乱が始まる間の頃です。
琉球王国って、意外とずっとあとなんですよね。

二つ目は、

1609年 薩摩による侵略

これまで琉球王国として独立していましたが、関ヶ原の戦いに敗れた直後の薩摩に支配されるようになります。関が原で西軍として戦い(戦いというより敗走だけどW)、敗れて、取り潰されても仕方ない状況で、薩摩は少しの領地を失うどころか、琉球征伐の許可まで江戸幕府から得てしまう。この辺りのかけひきがとても面白いです。

薩摩がほしいのは、琉球を通じた明との貿易。

なので、これまでどおり、明(のちに清)との貿易(冊封(さっぽう)貿易)を続けます。この時の中国との関係は、形式的に貢物をもっていき、そのご褒美で物品をもらうというような形だったで、琉球は中国の属国だったといわれるんですね。

形式的には、明(清)の属国ですが、実際には、薩摩を通した日本の幕藩体制に入ることになります。

昔は、琉球は薩摩に支配され、搾取されていた、けしからん!みたいな論調で歴史が語られていましたが、最近の研究では、薩摩は意外にも琉球を自由にさせていた、自治を認めていたということが分かってきました。

悲惨だったのは薩摩直轄領となった奄美群島でした。(去年の大河ドラマせごどんでやってましたよね)

三つ目は、

1879年 沖縄県設置

沖縄以外は、「藩と言わない県という」で覚えた1871(いわない)年ですが、沖縄は特殊事情があるので、8年遅れ。

「王国とは言わなくなった」1879なった年と覚えましょう(笑)

この解説と、残り二つはまた次回!

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