態度

AIを生成している(株)わたしはの竹之内さんと飯を食べた時に、竹之内さんが「何かが流行したりした時に、自分たちはそれに対する〝態度〟をちゃんと決めていかないとですね」みたいな話をしてて、それはDA PUMPの「USA」に対してどういう態度をとるか…みたいな話なんだけど、たまたま自分も「カメラを止めるな!」ブームに対してどういう態度をとるかで悩んでいた時期だったので、その場は大層盛り上がり、結果、今現在もその〝態度〟という言葉は、太字になった状態で印象強く頭の中に残っている。
ちなみに俺は「カメラを止めるな!」に対して、SNS上で観たことを一切言及しない代わりに、「自分の漫画連載の中でパロる」という態度をキメることにした。竹之内さんはDA PUMPの「USA」に対して、カラオケでは敢えて「if」を歌うという態度をキメることにしたそうだ。

最近は専ら著名人が亡くなった時の〝態度〟が悩みどころだ。会ったこともないのに、テレビや映画でたまに見ていただけの存在なのに、訃報が報じられたら我先に!とつぶやかれたお悔やみのツイートがタイムラインに流れてくる。その流れの勢いに、つい自分はだんまりを決め込むという態度に出るしかなくなる。
「希林さんの芝居には自分も影響を受けていて…」なんて態度に出ようもんなら、もう一人の自分が「おいおい、随分と急だなぁ」と、冷たい態度で嫌味を言ってくるだろう。

さくらももこさんが亡くなった時は、正直言うと、少しだけ身体が気怠くなる思いにはなった。その若さと、職業と作風、エッセイも執筆されている点や、何より子供の頃から知っているあの作品の作者だ。イチローさんが亡くなった時のことを想像しても(ごめんなさい)、たぶん同じ感覚にはならない気がするので、こんな自分でもあの方に何かしらの一方的なシンパシーを感じていたのだろう。そのことに気づいて、それがなんだか本当に気恥ずかしくて、ますますだんまりの態度を固めることになった。

さて、ではその著名人が、職業柄、例えばチラッとでも仕事で関わったりしていた場合の態度はどうするのが正しいのだろうか。世間に対するお悔やみ?って必要なんだろうか。本当に悲しい時にSNSなんてやってられるのだろうか。みんなの態度が知りたい。


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