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“America has been attacked” アメリカは攻撃を受けた

今回は「第五章 大西洋で『攻撃を受け場合』」の読書ノートです。

「アメリカは外国の戦争に参戦しない。アメリカの若者を外国の戦場に送り出すことはない。」という反戦公約に縛られているルーズベルト大統領にとって戦争を始められる大義は「アメリカが攻撃を受けた場合」だけでした。どうしても参戦したいルーズベルト大統領は、「アメリカは攻撃を受けた」状況をどうにかして作り出そうと策を練りました。

最近も同じ文言を聞きました。「イスラエルは攻撃を受けた。(さあ、報復してハマスを殲滅だ!)」。「・・・は攻撃を受けた。」というのは、戦争を始める口実にする定型文のようです。

ターゲットになったのは枢軸国、ドイツと日本。最初に挑発を受けたのは大西洋にいたドイツ海軍潜水艦 Uボートでしたが、ドイツはアメリカ軍の挑発に乗らず、(このときは)アメリカとの開戦を避けることができました。
このときのアメリカの挑発について、1947年末に公表された、アメリカ海軍省がドイツ軍から押収した文書「ドイツ海軍関連事項についての総統主催の会議 1941年」によれば、ヒトラーは1941年にアメリカと戦争することを避けるため、ドイツ海軍を制止していたそうです。

第5章は、ルーズベルト大統領が大西洋においてドイツ海軍潜水艦Uボートをどのように挑発して、どのようにUボート衝突事件を利用しようとし、どうしてドイツへの挑発は失敗に終わったのかをビーアドが調査分析したものです。

ドイツ挑発行為のあらまし

ドイツへの挑発戦略は込み入ったものでしたが、簡単にまとめると次のようなものでした。

・武器貸与法を成立させた後、アメリカ軍の大西洋艦隊が商船団の護衛やパトロールと称して大西洋で活動できるようにした。
・ルーズベルト大統領はアメリカ軍最高司令官として海軍に、「枢軸国の船を見つけ次第、攻撃せよ」という命令を出していた。
・アメリカ海軍は命令を遂行して、大西洋でUボートを攻撃した。Uボートはアメリカ軍の攻撃に反撃した。
・このようにして、アメリカ海軍とドイツ海軍との戦闘事件が複数発生した。

大西洋において ”We were attacked!” 状態を作りました。
 
そうして、アメリカ国民の愛国心と戦意高揚を煽り、ドイツへの報復措置、すなわち参戦を正当化しようとしました。
 
しかし、ルーズベルト大統領はUボートとの戦闘事件について、事実を隠蔽し、虚偽まがい(ウソ)の発表をしたことが連邦議員やマスコミや国民にばれてしまい、国民の報復戦争への支持を得ることに失敗しました。

アメリカのジャーナリズムとプロパガンダ

このときは、アメリカ国民は冷静であり、また、アメリカには事実を知らせようとするまっとうなジャーナリズムが存在していました。

反対に、ルーズベルト政権と協力して開戦を正当化しようとするプロパガンダを展開した著名なジャーナリストもいたようです。その筆頭はクラーク・アイケルバーガーという「世界平和を目指す委員会」の代表者でした。彼は、「合衆国が侵略者を打倒することに全力を注いで貢献すれば、将来の世界平和構築に参加する権利を持つことになる。・・・従って、わが国の戦争への参加を急がなければならないのだ。」と宣言しました。「早く戦争をやれ」と主張する代表が「世界平和を目指す委員会」の代表というのはブラックジョークのようです。
この宣言はもっと平たく言えば、「反対勢力は殺してしまえ。そうすれば世界は平和になる。」だと解釈できます。これは非情に恐ろしい考え方だと思います。

それにしても情報は恐い。国民がプロパガンダに騙されたり情報の扱い方を間違うと、戦争に巻き込まれて大勢の人が、家族や友人知人や、自分も死ぬことになります。

もしもドイツが日本より先に開戦していたら日本の運命は?

歴史に「もしも」がないことは分かっていますが、もしもドイツがアメリカの挑発に乗って日本より先にアメリカと開戦していたら、日米太平洋戦争はどうなっていたのでしょうか。もしかしたら、なかったかもしれない。そんなことを考えてしまいます。

「攻撃を受けた場合を除いて」という抜け穴への疑問

ルーズベルト大統領が「アメリカは攻撃を受けた」という事態を必要としたのは、それがルーズベルト大統領の選挙公約と民主党綱領に設けた免責条項、すなわち抜け穴だったからです。
ビーアドは、「この文言は、大統領の参謀たちの主張によって民主党大会で綱領の原案に追加されたものであり、つまり、当時、大統領としては綱領の反戦主張は解釈によって無害なものになると、あるいはそうできると考えたのかもしれなかった。」と書いています。

ビーアドの死後、だいぶたってから公表されたヴェノナ文書によって、ルーズベルト大統領はソ連スパイの影響力工作を受けていたことが分かっています。あの有名なハル国務長官もソ連の工作員だったと言われています。
何も根拠がない筆者の想像ではありますが、「反戦綱領に抜け穴を追加した大統領の参謀たち」というのは、ソ連の工作員だったのではないかと思います。
そう考えると、政権中枢に外国の影響工作を行う人物がいることが、国民にとってどれほど危険かということが容易に想像できます。それは、スパイによる工作活動だけでなく、外国人のロビー活動にはまってしまう(騙される)政治家や官僚の危険性も同様だと思います。

余談ですが、現代の日本でも、権力者に不利になるような法律にはちゃんと抜け穴が設けられていますね。いわゆるザル法というやつ。

ドイツ海軍潜水艦Uボート事件

大西洋上でおきたアメリカ軍艦とUボートとの衝突事件は複数ありましたが、ビーアドはグリア-号事件とカーニー号事件など数件をピックアップして調査分析しています。

アメリカ駆逐艦グリアー号事件の外観と現実

9月4日 アメリカ海軍省の発表
アメリカの駆逐艦グリアー号は郵便物を運んでアイスランドへ向かっていた。大西洋上で国籍不明の潜水艦がグリアー号に向けて数発の魚雷を発射した。グリアー号は爆雷を投下して反撃したもののその結果は不明である。
 
9月5日 アメリカ側の報告と報道
・アイスランドから「グリアー号が無事に到着した」との電信があった。
・事件はドイツの攻撃によるものと説明された。
・ドイツの攻撃を撃退するのに偵察任務で協力していたイギリス軍航空機の支援を受けた。

・報道内容
ルーズベルト大統領が、グリアー号を攻撃した潜水艦を探し出し「排除」することを海軍に命じた。大統領は、この攻撃が計画的に行われたものだと考えている、ドイツの潜水艦の仕業であった可能性がある、とほのめかした。
 
ドイツとアメリカの応酬
・ドイツ側の公式見解
ドイツ海軍潜水艦が爆雷で攻撃され、ドイツの封鎖海域で追跡され続け、真夜中まで爆雷による激しい攻撃を受けた、と強く主張した。
ドイツ側の声明は、「ルーズベルトはそうして、意のままになるあらゆる手段を講じてアメリカ国民を戦争におびき寄せるための事件を誘発しようと試みているのだ。」という文言で結ばれていた。
 
・アメリカ側の否定
アメリカ海軍省はすぐさま、ドイツの申し立てを否定し、この戦闘の最初の攻撃はドイツ潜水艦によるものだった、と述べた。
 
この後、何日間もアメリカと枢軸国の双方の報道を通じての言葉の戦いが続いた。
 
9月11日 ルーズベルト大統領の公式声明(ラジオ)

グリアー号は潜水艦に攻撃された。・・・率直な事実をお伝えします。それは、ドイツの潜水艦が先にアメリカの駆逐艦に対して発砲したということです。それも警告もなしに、計画的に、アメリカ艦を沈没させようと。・・・
われわれはヒットラーとの武力戦争を望んだことはありません。・・・
我が国の防衛上、必要とみなす海域においてアメリカ海軍艦艇も、アメリカの航空機も、もはや海中に潜んでいる枢軸国の潜水艦や海上の枢軸国の攻撃艦艇が先に致命的な一撃を放つまで待つことをしません。・・・侵略はわれわれのするところではありません。われわれがしようとしているのはもっぱら防衛です。
・・・私は最高司令官として合衆国陸軍および海軍に命令を出しました。この方針を実行せよ―――それもただちに。・・・

「ルーズベルトの責任」上、pp.200-201

注意深いジャーナリストや連邦議会議員は、大統領の説明は虚偽とは言えないまでも、正確さと包括性にかけると知っていました。彼らからの疑惑の申し立てと反論の応酬に煽られて、上院海軍委員会はこの攻撃についての聴聞会を開催する準備を進め、グリア-号事件についての完全な公式記録を確保するための核心を突いた質問のリストを海軍作戦部長ハロルド・スターク大将に送付しました。
 
9月20日 スターク海軍大将の回答と陳述が上院海軍委員会委員長宛に送付
 
返信の趣旨はすぐに公表されなかったが、連邦議会の議員数名に漏れ伝わった。
 
10月下旬 スターク大将の書簡、陳述、質問への回答が公表
スターク大将の報告書は、大統領が9月11日に行った国民への説明がいくつかの点で不適切であり、不正確であったことを示していた。
 
スターク大将が上院委員会に宛てて提出したグリア-号事件の主な事実の概略は次のようなものでした。

以下の引用の太字部分を読むと、先に手を出したのはアメリカのグリア-号であり、ルーズベルト大統領の演説はこの点でウソです。さらに、アメリカ軍艦がしつこくUボートを追い回したことは演説では隠蔽されていました。
また、参戦していないアメリカ海軍が先に攻撃をしかけているので、アメリカは国際法違反だったと思います。

グリア-号は郵便物、乗客、貨物少量を運んで、アイスランドへ向かう途上、イギリスの航空機から真正面約10マイル先の海中に潜水艦がいるとの連絡をうけた。
イギリス航空機からのこの情報を受け、グリア-号はその潜水艦を追跡し、その位置を広く送信し始めた。
この潜水艦を追尾する行動は3時間以上続いた。
イギリスの航空機はこの潜水艦の付近に爆雷4発を投下し、飛び去った。残ったグリア-号は追跡を続行し、ジグザグに航行しながら探索を続けた。
グリア-号はこのようにして潜水艦と3時間28分にわたって接触を保った。潜水艦は魚雷を一発発射した。
この魚雷はグリア-号の船尾の約100ヤード後方を横切った。
そこでグリア-号は「爆雷8発のパターン爆撃でこの潜水艦を攻撃した。」これに対して潜水艦はもう一発魚雷を発射したが、これはグリア-号に当たらなかった。
グリア-号はこの時点で当該潜水艦を音波探知機で確認できなくなりその捜索を始めたが、約2時間後、再び潜水艦と接触すると「ただちに爆雷で攻撃した。」
しかし、効果を確認することはできなかった。
グリア-号はさらに約3時間捜索を続け、その後、目的地のアイスランドへ向けて航行した。

「ルーズベルトの責任」上、p.203

アメリカ海軍艦カーニー号事件の外観と現実

10月17日 アメリカ海軍省の発表とルーズベルト政権の声明
・アメリカ海軍艦カーニー号が、今朝、アイスランド南西約350マイルの地点をパトロール任務中に魚雷攻撃を受けた。
・大統領の声明
全ての事実を入手するまではこの事件について声明を出すことを控えるとしたが、カーニー号は魚雷攻撃を受けたとき、アメリカの防衛海域にいたということ、アメリカの防衛にとって極めて重要な海上ではドイツおよびイタリアの攻撃艦艇を見つけ次第これに発泡すべしとの命令に変更がないということは述べた。
・ハル国務長官の記者会見
ドイツの攻撃は海賊行為であり、世界征服へ向けた動きの一環として計画された恐怖策である、と述べた。
 
ドイツのラジオ放送
この事件への関与を否定するとともにドイツの潜水艦がカーニー号に魚雷を発射したという話には真実のかけらもないと主張した。
 
10月19日 アメリカ海軍省の発表
間違いなくドイツのものであった潜水艦に攻撃されたカーニー号が港に到着したが、乗員のうち11人は行方不明で、数人は負傷している。
 
10月27日 ルーズベルト大統領の国民に向けた演説

長々とカーニー号事件について述べたうえで次のように枢軸国側を挑発した。

「・・・ヒトラーは南北大西洋のアメリカ大陸に近い海域で船舶を攻撃しました。
何隻ものアメリカ船籍の商船が公海で沈められました。・・・われわれは発砲することは避けたいと思っていました。しかし、砲撃戦はすでに始まっているのです。そして歴史には誰が最初の一発を放ったかが刻み込まれました。しかしながら、結局のところ、誰が最後の一発を放ったのか、ということしか大事ではないのです。
アメリカは攻撃を受けました。
合衆国海軍カーニー号は単に海軍の船というだけではないのです。この船はこの国のすべての男性、女性、そして子供たちのものなのです。・・・ヒトラーの魚雷はすべてのアメリカ人に向けられていたのです。・・・

「ルーズベルトの責任」上、p.205

カーニー号事件について、アメリカが攻撃を受けたとする自説を展開した後、ルーズベルト大統領は報復措置を発表しました。

10月29日 ノックス海軍長官が公表した正式な報告書

10月16日から17日にかけての夜、USSカーニー号は商船団を護衛中、潜水艦数隻から攻撃を受けていた別の船団からの遭難信号を受信した。USSカーニー号は攻撃されている船団の救助に向かった。攻撃現場に到着後、USSカーニーは商戦が潜水艦に攻撃されているのを認め、爆雷を数発、投下した。
その後しばらくして3発の魚雷の航跡がUSSカーニーに近づくのが確認された。一発はUSSカーニーの前を、もう一発は船尾を通り過ぎたが、3発目は右舷側全部機関室付近に命中した。・・・この爆発でUSSカーニーは戦線を離脱せざるを得なかった。

「ルーズベルトの責任」上、pp.210-211

グリア-号事件の経緯を記憶していた上院海軍委員会は、海軍作戦部長のスターク大将からこの事件に関していくつかの事実を手に入れることに成功していました。同委員会がこれらの事実に関してすぐに公式報告を出すことははありませんでしたが、内容は連邦議会の議員やその友人たちの間に「漏れ」伝わりました。漏れ伝わった情報では、カーニー号が実は護送任務についており、魚雷に撃たれるまで長時間にわたって、ドイツの潜水艦と戦闘していたということでした。委員会はこうした事実を12月初旬に発表しました。

タンカー・サリナス号/ルーベン・ジェームズ号事件

10月30日~31日 衝突事件発生
11月1日、5日、6日、8日付ニューヨーク・タイムズ紙の報道

サリナス号と三隻のアメリカの貨物船がアメリカの駆逐艦五隻に付き添われた船団に加わっていた。一団は38隻のイギリス船(その大半がタンカー)とともに航行していた。ある地点でイギリスの戦艦が引き返した後はアメリカ海軍の艦艇が船団の護衛任務を引き継いだ。ドイツの潜水艦がこの船団を攻撃し、その結果、戦闘が繰り広げられた。
 
ルーベン・ジェームズは船団とともにいたところを、ドイツの潜水艦に攻撃された別の船団(サリナス)の要請に応えてその救援に向かい、交戦中に潜水艦に沈められた。死亡者数は不明。

「ルーズベルトの責任」上、p.214, p.413

以上のように、ドイツUボートとの衝突事件はアメリカ側から攻撃をしに自ら出向いていき、先に発砲していたのにもかかわらず、ルーズベルト大統領はウソと隠蔽の発表をしたことがバレて、大西洋で本格的な戦争を始める目論見は失敗に終わりました。