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「あの子のむかし話」②(こうちゃさん著)

こうちゃさんからいただいた小説連載の続きとなります。今までの話はこちらからどうぞ。


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「お母さん、今日は遊んできていい?」
「いいよ。でも、六時までには帰ってきてね」
「は〜い」
 わたしは出かける支度をする。毎日、絵日記をつけないといけないから、目一杯遊んでこないといけないのだ。麦わら帽子と、お気に入りの手提げに折り畳み式の将棋盤を忍ばせて、ちっちゃいお財布をポケットに入れる。本当はおこづかいで欲しいものが買いたいのだけれど、夏の暑さのせいでそのほとんどは自動販売機に呑み込まれてしまう。
 わたしはバタバタとスニーカーを履いて、ヒモを結び直すと、がらららん、と玄関の扉を開けた。眩しいほどの照りつける太陽が目に映り、蝉の喧騒が入り込んでくると、わたしは一日の始まりを知った気分になる。
「あつ〜い」
 右を見て、左見て……、車が来ていないのを確認すると、わたしは早速、公園の方へ向かって走っていった。
 わたしはよくお母さんと追いかけっこをしても、すぐ追いつかれちゃう。はやくはやく懸命に走っても、わたしの方が遅いのだ。だからおとなって羨ましいなあ、って思う。でも、おとなの人が走るところは、あんまり見たことがない。テレビに映る、スポーツ選手みたいに走れたら、いつもカッコいいだろうなあとも思う。
 そんなことを考えながら走っていると、道の途中にいつもワッフルみたいなブロック塀が見えてきて、そこで止まることにしている。
 見上げると、その上にはたくさんのツツジが咲いている。キレイな乳白色だ。すると、ちょうちょさんがひらひらと飛んでいる。今日もやっぱり、そうみたいだった。
 シジミチョウと、美しいアゲハチョウ、あと凛としたアオスジアゲハがいた。
「オレンジ色のちょうちょさんがヒメアカタテハさんで、その白いのは、……オオゴマダラさん!」
 このオオゴマダラさんは、とってもキレイなちょうちょさんなので、見つけると同時に嬉しさがこみ上げた。昨日、なんとなく押入れから見つけた昆虫図鑑を、くまなく読み込んだ甲斐があった。
「やっぱりちょうちょさんも、この花のミツ好きなんだね」
 わたしはちょうちょさんが大好きだった。いつも、なんていうか……、天衣無縫って感じで、好き。二匹で宙を舞っているカップルなんか見ると、わぁ~……!ってなる。ときどき、麦わら帽子を使って、こっそりパサっと捕まえて、それを友だちの前でぱっと開く。すると、ひらひらとちょうちょさんが舞っていって、みんなすごい、すごーい!って言ってくれる。だからお母さんの前でも一回だけやったことがあったのだけど、すご〜くびっくりされて怒られちゃったこともある。
 でも、やっぱりちょうちょさんは大好きなのだ。
 優雅な彼女たちを見ていると、今日はゆっくり歩いていこうと思った。目的地までは遠いけれど、いつかはたどり着くんだし、それよりは色々な風景を眺めて歩くのが楽しいかも、と思ったからだ。
 曲がりくねった道と、少し破れたアスファルト。少し陽炎が見えて、蝉の声が今も聞こえる。誰かが付けたかざぐるまがくるくると回っているし、空き地にはかわいいお花がたくさん咲いている。理科の授業はあんまり得意じゃないんだけど、こういう自然をもっと知りたいのなら、やっぱり勉強しなきゃダメなのかな……、なんて思うこともあった。
「こういう気分って、なんていうんだろう」
 不思議な感覚。なんだか、国語の教科書をめくっているような気分。あの時のわたしには、わからなかった感情。
 そうあれこれと考えていると、公園にはあっという間に着いてしまった。いつも通り、あまり人気のない場所だった。わたしは、ちょっとだけひと息をつくため、ベンチに座る。
「あんそく、あんそく〜」
 自分で言って、おかしくて笑う。おとなの人は遊具で遊ぶよりも、こうしていることが多いのだ。だから、遊具はいつもガラ空きで、わたしの独擅場なのである。
 たまに遊んでくれる人もいるけど、いつも寂しそうなすべり台。
「ちょっと遊ぼうかな」
 そう思って、荷物をほっぽって立ち上がる。
「ふ〜……よ〜し」
 わたしは、すべり台――ではなく、ブランコへ向かった。階段を上って、少し奥にあるブランコ。
 それに向かって駆け足ですたすたと走っていき、わたしなりの全速力で走った。だがわたしは、その目の前で足を止めた。
 ……おとなの人がいることに気がついたのだった。
 その人はブランコの上で、ぎこぎこ漕ぐこともなく、ただしんと佇んでいた。
 ――どうしたんだろう。そう思った。よく見ると、おねえさんだ。少し目を伏せていて、ちょっぴり元気が無さそうだった。わたしより遥かに身長も高くて、やっぱりおとなの人だった。
 わたしは、どうしようか悩んだ。昔から、お友だちを誘うのは上手なのに、その人に声をかけられない。
 でも、困っている人は放っておけない。わたしは、わたしは。
 ……勇気を出して、近づいてみることにした。
「……おねえさん、どうしたの?」
「……! ――はい?」
「おねーさん?」
「ああ、その、ごめんね、えと……お嬢ちゃん?」
「むーん、わたしはもう小学三年生です」
「ああ!そうなの、ごめん……」
「おねえさん、だいじょうぶ?元気なさそうに見えますよ〜……」
「そ、そうかな……」
 白いブラウスと、黄色いチュニックなスカートを身につけて、綺麗な服装をしていた。
「ふむふむ……」
「ええとその、どうしたの?」
「おねえさんを、観察しています」
「え……?」
「むーん、結果によると……」
「その、あなたは――
「どこからどう見ても、キレイ、ですな〜」
「え……?」
「ちょうど、さきほどお見かけした、ちょうちょさんみたいにキレイ、ですね~」
 おねえさんは、そう言われて唖然とした顔を見せると、ぷっ、と破顔して微笑んだ。
「なによそれ、もう……」
「むふふ〜」
 でも、やっぱり元気が無さそうで、心配だった。わたしは、どうしたものかと悩む。
「むーん……じゃあ、そうだ!待ってて、おねえさん!」
「え、ちょっと!」
 わたしは、先ほどの通りに引き返して、あのツツジのお花畑のところまで走っていく。見つけられたらどこでもよかったのだけど、そこまで走るつもりであった。するとやっぱり、小さなちょうちょさんがいた。かわいいモンキチョウさんとモンシロチョウさんであった。でも、その子たちではなく――
「ちょっと力かしてね、ちょうちょさん!」
 麦わら帽子を脱いで、それをやさしくフワっと捕まえると、逃げないように気をつけながら――これを見せれば、きっとおねえさんも笑顔になってくれるはずだと――おねえさんの元へ走っていった。
「おねーさ〜ん!」
 公園に着いて、一声にそう呼ぶと、おねえさんは、こちらにぎこちなく、手を降り返してくれた。わたしはブランコの元へ戻ってきた。
「ねぇ、おねえさん、見ててね!」
「う、うん……」
 わたしは、麦わら帽子をパッとひらいた。するとそのちょうちょさん――オオゴマダラさんは、懸命に自由へと飛び立つように、空高く上っていってしまった。それを見て、おねえさんは目を上げた。
「わっ……!」
「ふふふ、どうだった?」
 おねえさんは、しばらく目を見張って、固まってしまった。少しの間があって、やっぱりびっくりさせちゃったのかな、と不安に思うと、
「……ふふふ。その……とっても、綺麗だったよ」
 そう言われて、よし!と思った。
「でしょでしょ!いまのが、おねえさんみたいなちょうちょさん!」
「え……?」
「おおごま……おおご……、あ、オオゴマダラ、さんだよ!」
 すると、おねえさんは不意に切なそうな顔をした。
「……どうしたの?おねーさん」
「……ありがとう」
 その途端、おねえさんは涙ぐんでしまった。
「えっ……?」
「ありがと……うう……」
「なんで、おねえさん泣いてるの?」
「本当に、ごめんね……」
「わたし、これやったら、みんな笑ってくれるから、だからやったんだけど……」
「……嬉しかった」
「え?うれしかったの?」
「うん……」
 わたしは、この特技を見せて、泣かれたのは、おねえさんが初めてだった。
 ……なんでだろう。でも、なぜかこの時、とても温かい気持ちになったのは、今でも忘れられない。

(続く)

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