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「あの子のむかし話」④(こうちゃさん著)

こうちゃさんからいただいた小説連載の続きとなります。今までの話はこちらからどうぞ。


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 4

 今は、朝の午前十一時。最近、ちょっと時計は覚えられるようになった。わたしは宿題に向かっている。
 昨日は本当にぐっすり眠れた。夜更かししていたのが見つかるとお母さんからしこたま怒られるのだけど、それもしないでぐっすり寝た。
 それで、お母さんに今朝ほめられたのは嬉しかったんだけど、だからといって宿題まではやりたくなかった。
「むーん……」
 特に、算数が苦手だった。たし算は楽しいのだけど、ひき算がきらい。一年生の時のテストで、普段は『3と2は□』みたいに書かれている問題があって、それは得意だった。それなのに、少し風邪を引いて休んでしまったことがあって、のちの日に登校すると、テストには『3は2と□』と書かれてあった。気になってしょうがなかったけど、いつも通りたし算で全部答えて提出した。すると、すべてバツが付いて帰ってきたことがあったのだ。
 自分で何度も計算し直しても、間違えてはいない。たぶん、ひとつも間違えていない。なんで?と先生に聞くと、これはひき算だから、と言われた。それ以来、算数がきらいになった。
「これは……何時?むーん……」
 時計の針が、どこを指しているのかという問題がずらーっと並んで、いやになってくる。時計を見ながら、考えて出した今の問題の答えは、十二時十五分だった。
 ――遊びたい。昨日、また遊ぼうってしおりさんと約束したのに。
 そんなことが脳裏をよぎる、その瞬間だった。ピンポン、とインターホンが鳴った。
 ――胸が高鳴った。
「あ、しおりさん!」
 と叫んで、わたしはバタバタと廊下を走って玄関へたどり着いた。
 わたしは靴を履いて、がらがら扉を開ける。
「こんにちは、みやちゃん」
「しおりさ〜ん!」
 わたしはそのおおきな腰に飛びつく。
「……そんなに楽しみだったの?」
「うん〜そうなの〜」
 そうやって、しおりさんはお母さんと挨拶をしながら、靴を揃えつつ、居間にあがってもらうことにした。
「へぇー、なんか……みやちゃんって感じ」
「どんな感じなの?」
「うーん、みやちゃんって感じ」
「むーん……わかんない」
「ふふふ」
 するとお母さんは、飲み物とお菓子を用意してくれて、それを座卓に置いてくれた。
「ありがとうございます」
「いいんですって。美也ちゃんと楽しくお話してくださいな」
 そういって、しおりさんは座る。ついに、そこに置かれている宿題を見られてしまう。
「わあ、これはその……」
 わたしは慌ててそれに乗りかかり、隠そうとする。
「あ、それは宿題?懐かしいな〜」
「……?しおりさんも、やってたの?」
「うん。そうだよ」
「そうなの!」
「ふふふ、そんなに変なこと?」
 わたしは思わずびっくりしてしまった。
「じゃあしおりさんは、その、べんきょう、とくい?」
「ふふ、私も苦手だったよ。多分ね、みやちゃんよりもっと酷かった」
「えー?」
 ――こんなにキレイな人が、勉強が苦手……?
「なんと〜……」
 わたしは、その不思議でどこか抜けたような愛嬌を知ると、しおりさんに甘えたくなった。そんな視線を送ると、しおりさんはこう言った。
「じゃあ、私も手伝おっか?」
「いいの〜……?」
「全然いいよ」
「……じゃあ、教えてくれないですか〜」
「ふふ、わかった」
 そう言われて、その日はずっと宿題を手伝ってもらうことになった。わたしはなんで今までやっていなかったんだろう、ってちょっと不服な気持ちになる反面、しおりさんと一緒にいられる時間が、なんだか幸せだった。
「みやちゃんって、自分の名前まだ書けないんだよね」
「うんー……」
「えっと、ちょっと待っててね」
 しおりさんは、お母さんのところに行って、何か少し話した後、こっちに戻ってきて、傍にあるメモ帳を取ると、
「みーやーお、みーや、っと」
 そう言いながら、書いてくれたメモ帳を見ると、こう書いてあった。

 宮尾美也

「へー……」
「かわいい名前だね」
「そうなの、ですか〜?」
「うん」
 わたしは、また小っ恥ずかしくなる。
「美也ちゃん、自分の名前、少し練習してみよう」
「むーん……わかった」
 わたしは、その文字を一生懸命書き写す。でも、しおりさんほどキレイには書けない。わたしがやっても、何度もやっても、やっぱりヘタクソな字になってしまう。
「キレイに書けないよ〜」
「いつかちゃんと綺麗に書けるようになるよ」
「そうかな?」
「そうだって」
「むーん……あ、そうだ!」
「なに?」
「しおりさんは、なんて書くの?」
「えーっと、こうだね」
 そういうとしおりさんは、すらすらとその字を書いた。

 篠原栞

「わぁ〜……」
「どうしたの?」
「かわいい!」
「そ、そう?」
「うん!ゴージャス、って感じ」
「そ、そう……」
 わたしは、その字を真似てみる。最初の二文字は書けないけど、最後の文字は書きやすかった。
 『栞』。
 その字は、なんて言うのかわからなかったから、
「これ、なんてよむの?」
 と聞くと、
「それが、しおり、って読むの」
 と、言われた。
 ……わたしのしおりさんは、栞さんだったのだ。

(続く)


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