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実写版「人は変われる」

ありがとうございます。

note5本目。今日は頭の中を整理するためにここ数カ月で私の中で起こったことをまとめてみた。

嘘です。まとめられてません。文章力がないので3600文字にもなった。自己開示的なnoteになっているので途中でウザくなったら読むの止めていただいて結構です・・・。

人は変われる。これは間違いない。

これは私の経験から。
ではどうすれば変われる?私の結論は3点。

1.自分は何者か?を深く深く考える

2.やりたいゴールを作る

3.迷ったら恥をかける方を選ぶ

偉そうに言ってる私だが、実際どんな経緯でこの結論を出したのか?実写版「人は変われる」をご覧ください。

気が付いたら鎧を4枚も着ていた

2013年10月:私は今の会社に転職した。前職は大阪の小さな商社。今の会社は同じ業界のトップの会社(小さな業界ですよ)。いわゆるヘッドハンティングというやつで転職した。言うなれば少年野球チームからNYヤンキースに移籍したような感覚だった。NYヤンキースのモサ達は少年野球から来た私を歓迎することはなく「やれるもんならやってみな?」という感じで威圧からはじまった。「負けてたまるか!」と1枚目の鎧を着た。

2017年1月:ヤンキースの雰囲気にも慣れ、成績も上げれたので東京本社に移籍した。そこで最重要顧客を任されプレイヤー最大の販売予算を持った。我々の業界は地方で負けても東京で勝てば事業としてはOK。東京と地方では商売の規模が全然違うため。なので東京では「絶対に負けられない戦い」が永遠に続く。鬼のようなプレッシャーに打ち勝つために「東京では負けられない」という2枚目の鎧を着た。

2019年1月:プレイヤーとしての成績が認められマネジャーに抜擢された。通常ウチの会社ではマネジャー試験があり、合格したものだけがマネジャーになれる。だが私は試験を受けずに抜擢された。「次はお前の時代だ」と期待されて。それまでは40代後半でマネジャーになるのが通例だったが、30代後半でマネジャーになり今まで私のマネジャーだった人が私のメンバーに変わった。「マネジャーはこうあるべき」という理想を掲げ3枚目の鎧を着た。

この頃からおかしくなり始めた。

マネジャーという今まで経験したことのない仕事を始めた途端、訳がわからなくなった。決断をしなければならないが、わからない事が多すぎて決断できない。「知らんがな案件」が多すぎて決断したことが合っているか?不安でたまらない。決断しながら心のなかでは(これでいいのかな?)を連発していた。今までトントン拍子でマネジャーまで登りつめたのでメンバーには弱みを見せられない。聞けない。頼れない。任せられない。気づけば会社に行くのが嫌になり、前向きな動きが全くとれなくなっていた。

2020年4月:騙し騙しで2019年を何とか乗り切ったが、2020年に組織が変わり今までとは違う製品を扱う部署のマネジャーになった。いわゆる畑違いの部署。その製品を熟知している上司と部下の間に挟まれて決断していく立場だ。ロクにマネジャーの仕事もできていないのに、畑違いの部署のマネジャーになったので今まで以上に前例主義に終始し、「何とか悪くならないように無難に無難に」と今までで一番重たい4枚目の鎧を着た。メンバーから相談されるのを恐れて、わざと忙しい振りをして寄せ付けないような雰囲気を出していた。

この時期が一番キツかった。仕事がこんな状態なので家でもふさぎ込んで会話もしない、子供の相手も進んでしない、「早く1日が終われ」とばっかり考えていた。でもすぐに次の日が来る。会社に行きたくない。上司の顔も見たくない。この繰り返しだった。当時の上司には2回ほど「限界なのでマネジャーを降ろして欲しい」と頼んだ。この時期はホントに危なく、毎朝見送ってくれる妻も「今日は会社に行かずに病院に行ったら?顔がヤバイよ?」と何度か言われた。電車に乗れず何本も乗り過ごしたこともあった。

認知科学との出会い

2021年3月:4枚の鎧で身動きが取れない時、社内で「認知科学」の研修があり以下のようなことを学んだ(決して怪しいものではありません)。

・到底実現できそうにない「ぶっ飛んだゴール」を作りましょう

・ゴールはやりたいこと(Want to)ですよ

・根拠はいりません

・過去は振り返らなくてもいい

・ミライだけを見ましょう

これがすごく腑に落ちて「根拠はいらないんだ」、「過去も関係ないんだ」、「ミライだけを見よう」と徐々にマインドが変わって行った。ただ「やりたいゴール」を作るのがむずかしく完全にマインドは変わらかった。

「やりたいことって何?」

「ありたい自分って何?」

「そんなの急に出てきませんけど?」

モヤモヤは続いた。
当時前田裕二さんの「メモの魔力」を読み、巻末についていた「1000の質問」という自己分析シートがあったのでそれを真剣にやってみた。小学校の頃に一番感動したことは?一番悲しかったことは?一番好きだった色は?など自分への1000の問いに真剣に向き合った。

「自分は何者?」にたどり着いた

私は小学校から大学まで野球をやっていた。決して上手くはなくチームの「ムードメーカー」だった。チームを盛り上げてレギュラーが活躍し、チームが勝つことが楽しかった。下手くそだったが、高校時代にはムードメーカー枠でベンチに入り甲子園にも出してもらった。いわゆる伝令役として。小中高どの年代でもクラスのお調子者として皆んなを笑かし、自分もゲラゲラと笑いそれが楽しく心地よかった。だが社会人になるとムードメーカーなんて役割はなく、営業として馬車馬のように働くだけだった。

私は人の笑顔を見るのが好きだった。人を応援するのが好きだった。なら、「『人生のムードメーカー』というのもアリなんじゃないか!?」と考え始めた。周りの人達を支えて、周りの人達に支えられたい。そしてようやくやりたいゴールが見つかった。

自分に関わる『すべての人』を笑顔にしている

すべての人だ。お客さん、仕入れ先さん、コンビニの店員さん、駅員さん、家族、友達etc、すべて。

マインドが変わるとまず自分のメンバーに謝罪した。「コンフォートゾーンを全く広げようとせず、逃げてばかりいて申し訳ありませんでした。これからは皆さんのチカラを貸してください。一緒にミライを変えて行きましょう」と。自ら恥をしのんで弱みを見せたことで、メンバーとの関係は非常に良くなった。本当に生まれ変わったような感覚だった。というよりも、学生時代の部活の部室に戻ったような感覚だった。冗談を言いながら楽しく仕事をしている感覚。上司の顔も気にならない。他のメンバーの目も気にならなくなった。

鎧が脱げた瞬間

マインドが変わると朝の散歩をはじめた。Air podsで音楽を聴きながら。当時はミスチルをよく聞いていた。ある日「蘇生」という歌を聴きながら歩いていると歌詞がものすごく刺さった。

そう何度でも何度でも

僕は生まれ変わっていける

歩きながら考えられないほどの涙があふれ出してきた。涙は止まらないし心臓がバクバクするし今まで体感したことのない感覚だった。
ただ重たかった鎧は全て消えていく感覚があった。

やっと変われた。これで大丈夫。もう戻りたくない。きっとできるんだ。
朝4時に41才のオッサンが号泣しながら歩いていた。

「恥をかける人になる」との出会い

なぜ自分が変われたのか?をすぐには言語化できなかったが、たまたま「いくつになっても恥をかける人になる」という中川諒さんが書かれた本に出会った。そこには「恥」について研究された内容が書かれており、まさに自分が今まで逃げて逃げて逃げまっくってきたのは「恥をかきたくない」ことに起因するものだとものすごく腑に落ちた。

「人にすごい営業マンと思われたい」

「人に尊敬されたい」

「マネジャーとはこうあるべき」

「こんなことも知らないの?と思われたくないので聞けない」

「自分でやったほうが早いと思い込み他人に頼めない」

これら全て「恥」から来るものだと納得できた。

この本から得たのは「迷ったら恥をかける方を選ぶ」という行動指針だ。早速この行動指針に基づいて著者の中川さんにDMを送り、お友達になっていただいた。今、中川さんが主宰されているオンラインサロンにも入っている。行動することでミライが上手く転がり始めているのを実感している今日この頃だ。

お盆休みぐらいから、澤円さんのサロンに入って素敵なメンバーの皆さんと交流させていただいたり、オンライン英会話を始めたり、サウナにハマったりととても楽しい毎日を過ごしている。今までだと「他の人にどう思われるかな?」「恥ずかしいなぁ」と行動していなかっただろう。でも今は変われたので色んな事にどんどんチャレンジしたい。


さあ、人生第二章の始まりだ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

感謝いたします。


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