ちびちゃんの話
だれかを恋しくおもう
こんな夜は、
ちびちゃんを想う
コアラのような銀の毛色をした
ちびちゃん
うちのワンタン(トイプードル)と、同じくらいの年で、同じくらいの頃に、同じように引き取られてきた、同じくらいの大きさのトイプードルのちびちゃん
ちびちゃんの目は、植物のようだ
退職した木下さんと奥さんと
穏やかに暮らしていた
ちびちゃん
ある日、近くで白い子犬たちが生まれた
一匹が、木下さんのところにやって来た
白い子犬は、はなちゃん、と、名付けられた
はなちゃんは 番犬になった
いつだって見張り番 吠える吠える
ちびちゃんは 横からひょっこり顔を出す
ちびちゃんは 大きくなった
はなちゃんは おとなのサイズに大きくなって
ちびちゃんは すでにおとなだったから 横に大きくなった
歩き方も変わった
「ついおやつをあげちゃうんだよ」
ワンタンに吠えるはなちゃんの横で
ちびちゃんは飄々と佇んで
植物のような目で ワンタンを見つめた
ある日、
はなちゃんが死んだ
散歩中に 道端に落ちているなにかを 食べたのだという
「女房が振り向いたらもう泡吹いてた」
木下さんは言った
「初めての大雪に、よろこんで飛び跳ねてたんだよ、そのちょっと前には」
飄々とした 木下さん
いつもの笑顔が 戸惑っていた
足元には ちびちゃん
いつもの飄々さで ワンタンをじっと見る
ちびちゃんはワンタンが気になる
しっぽを振りながら ワンタンに寄ってくる
クール目で気分屋なワンタンのしっぽは じっとしてることも多い
においをかいでの挨拶は 今日も欠かさないけど
いつものように ワンタンが先に 次へ向かう
白いはなちゃんの 若い いのち
戦慄と戸惑いに、「道端」とはどこかを確認して
木下さんと別れる
「じゃあまた」
ちびちゃんと木下さんの歩きは なんだか似ている
木下さんとちびちゃん
飄々とした ふたり散歩に戻って
二度目の春がきた
「癌なんだ」
そう聞いたのは、前回、散歩中に会ったときだ
「あれ?ちびちゃん痩せました?」への、その言葉に
時が止まった
「おしっこも出せなくなって病院に抜きに行ってるよ」
飄々としたなかの 戸惑い と笑顔
そのままを 受け止める それしかなかった
ちびちゃんとワンタンは 挨拶しあっていただろうか
「じゃあまた」
ゆっくりと歩き出した ふたりの後ろ姿を見送る
痩せてあの頃の大きさに戻っていた ちびちゃん
だけど なんか
健やかじゃないのが わかった
その 後ろ姿は その 歩き方は
見たことが なかった
あの頃ともこの前とも 違っていた
右足が歩きにくそうだ とても
股のあたりに 何かがあるのだろう
それが 前回 会ったとき
あれは、ついこの前?数ヶ月?
木下さんが向こうから ひとり歩く その様に
予感がふっと かけていった
だから一度 草をかぐワンタンをじっと見る
気づいてない そう 間をおいて から
歩きだした
木下さんの笑顔に向かって
頭の中を 心持ちを 一度キャンセル フラットにして
「あれ、ちびちゃんは」
「死んじゃったんだよ、この前の、5月8日に」
「え」
時が 止まった
「息してない、って女房が気づいてさ、眠るように。犬はほら、痛いとか言えないだろ、我慢強いだろ。さいごのほうは、じっとこっちを見てるんだよ、ずっと。」
木下さんは どんな表情だっただろう
「お前は元気でいてくれよな、おい」
あの笑顔に戻って ワンタンを撫でた
ちびちゃんが、好きだった
ちびちゃん、あなたがいなくなって、さみしいよ
ワンタンの寝息に カエルがなく
ちびちゃんと木下さんが歩く
そうか
ふたりの歩きは 似てたんじゃない
ほぼ同じだったのだ
ひとと、いぬだけど
ほぼ、同じだった
ちびちゃん
だれかを恋しくおもう
こんな夜は、
コアラのような 銀の毛色の
植物のような目をした
ちびちゃんを 想う
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