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キャタピラスープの1000日 - 喪失から再生への旅路

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30代で夫と死別した「零」の日記。「わたし」を構成していた価値観やアイデンティティといったものは、どろどろに溶けてしまった。自分に深く潜り込み、いつの日か、自分の「コクーン(繭)…
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自己紹介:「キャタピラスープの1000日」

「忘れないで。わたしを忘れないで、置いていかないで。」 その声は、たしかに聞こえたのだ。 はじめは、午前中の明るい日差しのなかで。 つぎは、その夜。温かなお風呂のお湯のなかで。 それは、「あの頃のわたし」の声だった。 悲嘆の日々を記すこと 2018年の夏。最愛の夫が、あちらの世界に旅立った。 出会いからずっと一緒だった10年の「私たち」の日々は突然終わりを迎えて、真っ暗闇の、いわゆる「悲嘆の日々」が始まった。 「死」は遠かった。なのに突然目の前に降ってきて、そこら中

2018/09/02 (1) 一緒に帰ろう

0:52 シルバーの車体が通りを右折して駐車場に入った。義父母が到着した。 エレベーターの扉の前でふたりを待つ。電光掲示板の上三角が点灯して階数を上げてくる。扉が開く。義父母が出てきた。ナースステーションに向かいながら、電話口では伝えていなかった状況の詳細を伝える。家族として、なにがまっているのか、なにをしなくてはいけないのか。 病室では、心肺蘇生が続けられていた。病室の入り口で足は止まり、義父母とともに廊下からその光景を目の前にする。寝巻き姿は裸にバスタオル姿になって

2018/09/01 容態急変

22:30 明かりを落としたベッドルームで電話が鳴った。 「成田赤十字病院」 黒い画面に白い文字が浮き上がる。息が詰まる。電話に出る。口が渇いている。 「容態が急変しました。今すぐ病院に来てください」 慌ただしい出発に、「まずは私が見に行きます。病院で状況を見てすぐに連絡します」と義父母に電話をかける。七十も後半を過ぎた義父の運転を心配していた。病院までは片道二時間、しかも夜の高速道路だ。「容態急変」の言葉の意味もわからずに。 間髪入れずに妹の茉奈に電話をする。出て。お