コロナ生活481日目
(昨日の分)
授業に出て(辞めようかなと思っている)、演劇みて、ラーメン食べました
そしてカラオケに行きました
そんな日でした
演劇は久しぶりに見ました ミュージカルとかはしばしば見るんですけども
劇場って。いいよなあ。やっぱり。
昨日の劇場は、ステージと客席の段差があまり無くて。
でも役者が出てきて始まった瞬間に場の空気が変わるのです。すごく。
あれは普通の人には出来ない。やはりステージの上に立つのは大変だ。
見せる側と見る側 ステージと客席。
同じ空間にいるのに、空気が違う けども、見る側もただ見てるだけな訳ではない。
見る側も含めてひとつの劇を作っているのだと思いました。
関係ないけど、自由席で、前の方に座りすぎて首が痛かったので
座る場所ミスったか?と思ったのだが、
隣にイケメン2人が座ってきたので歓喜でした。
まあ人生生きてれば山あり谷あり 色んな感情が渦巻く時もあるよね。
そんな時も必死に平穏を保つ自分は強いし凄いです。と思いました
他人を羨んでも仕方ない。何も生まれない。彼女と私が生きる人生は違う。私は私の人生。欲しいものも、人も、違うのです
だから私は私の幸せを見つけたい。し私なら見つけられるはず。いつか。
それは今じゃないのかも。でも頑張って生きてる。多分そのうち我慢してた分の大運がくる。はず。
愛される権利がある。愛す権利もある。私は愛す権利は勝手に行使してます。大切な友達。一方的に好きだった人達。告白した人。
人を愛してきたけど、今まで自分が愛されることはあまり無かった。親祖父母くらい。あと今の教授。親祖父母はすごい私のことを可愛がってくれてきた。全ての愛をそこで受け取ってしまったのだろうか、使い果たしてしまったのだろうか
それでたまに虚しくなるのです。自分は人を愛しているのに、なぜ。私が愛されることは無い。女としても。
身体しか愛してもらえない。そんなセックスしても私は大人になった気がしなかった 終わったあと、「彼氏なんて社会人になったら出来るよ」と他人事のように言い放たれ、
ああやっぱりそうなんだ としか思えず心の中で泣いた。
大人になりたい。周りの友達と同じように。21歳・女性 でいたい。誕生日祝われたい。大切にされたい。人として。同じ時間を歩んできたはずなのに。
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ここまでが自分の中にある卑屈な部分で
何悲劇のヒロインぶってるんだ!という感じ。愛される努力が十分じゃないだけでしょ。顔もめっちゃ頑張ったじゃん。顔がかわいくないと恋愛する権利が無いんだと思ってた。パートナーが出来ないのは顔がかわいくないからだと思ってた。だから必死に頑張って今に至るじゃん。それに環境が悪く縁がないだけ。
自分は可愛いし、魅力的だし、って自己肯定感を必死に高く保とうとする
それがごっちゃごちゃになって、自分でも何を考えてるのかよく分からんくなるべ。でも最近思う。いつまで持つか?本当に分からない。
ある日ポキッと折れると思う。折れて、どうなるかは不明。引きこもりになるか。恋愛を諦め独身貴族的な道に走るか。ビッチになるか。男性恐怖症、男性嫌悪。多分もうそろそろ限界来てる。
こんな状態が2年も3年も続けば、そりゃもうねえ
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