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琉球王国ってどんな国だったの❓

▲沖縄県は、琉球王国だった
昔、沖縄県は、琉球とよばれた一つの国でした。1429年、尚巴志(しょうはし)という人物が、各地の有力者を一つにまとめました。
首里城を王国の中心とした琉球は、さかんに中国や日本、アジアの国々に出かけていき、たくさんの品物の売り買いを行いました。そのころの那覇の港は、海外から運ばれた物や外国人であふれたといわれます。この時代は『大交易時代』とよばれています。
琉球は、『レキオ』という名前で、ポルトガルの資料にも記録されています。

▲琉球王国、薩摩藩の付庸国となる
1609年、琉球は薩摩藩(今の鹿児島県)からの侵攻を受けます。ちょうど日本では、将軍を頂点とする江戸幕府が始まったころでした。

※【琉球王国が薩摩藩の付庸国として、税を納めることになる経緯】
「豊臣秀吉の死後、朝鮮出兵の戦後処理のため、明や朝鮮と日本は講和交渉をしようとしましたが、明や朝鮮は日本に対して警戒心を緩めませんでした。
そこで徳川家康はその交渉を琉球王国にしてもらおうと考えました。しかし、これに同意すれば琉球王国が日本に属したことになります。ですから琉球側は拒否し続けました。業を煮やした家康は、琉球王国を支配下とするべく、薩摩藩の島寿氏に琉球討伐を命じたのでした。
1609年薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて沖縄本島へ上陸し、首里城まで進軍しました。琉球軍は島津より多い4000名で応戦しましたが破れてしまい、尚寧王は島津と和議を結び首里城は開城したのでした。
これ以後琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、税を納めることになったのでした。」
引用:『琉球王国』https://history-men.com/ryukyu-okoku/

▲江戸時代、琉球王国は日本文化の影響を受けながらも、さらに特色ある文化を育てた

▲明治時代、450年間続いた琉球王国は沖縄県となる

※【琉球王国から沖縄県への経緯】
「日本では明治維新により新政府が誕生。これによって廃藩置県が行われ、琉球王国は琉球藩として位置づけられたが、明治12年(1879)には、ついに琉球王国が崩壊した。沖縄県の誕生である。
明治5年(1872)に琉球王国から琉球藩となったが、王府は、琉球の管轄が薩摩藩から明治政府に変わっただけで体制に影響がないと見ていたが、明治政府は中国(清)との冊封、進貢関係を絶たせ、強硬に藩政から県政へと推し進めようとしていた。王府は琉球存続の嘆願を繰り返したが、琉球処分官により、政府命令を通達。明治12年(1879)に廃藩置県を断行。首里城は明け渡され、藩王であった尚泰は華族として東京に居を移すことになった。ここに450年続いた第二尚氏王朝は終焉を迎えた。」引用:『沖縄の歴史』https://www.tabirai.net/sightseeing/okinawa/info/about/history.aspx

▲沖縄県の戦中・戦後は、戦争・軍事の傷跡が色濃い
太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。激しい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人を含む、たくさんの人たちが亡くなりました。これが『沖縄戦』です。
戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰するまで、沖縄はアメリカの統治が27年間続きました。その間に米軍基地が建設され、今もなお存在しています。

▲琉球王国の歴史と文化は、今も受け継がれている
かつて琉球王国として栄えた歴史と文化は、今も私たちに受けつがれています。これからの明るい沖縄をつくるためにも、自分たちの歴史を知り、そこからたくさんのことを学びたいものです。

上記文章(要約)の出所:『沖縄県の歴史 ~ 沖縄こどもランド』(沖縄県HP)
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/gaiyo.html


参考:『再建を願う…琉球王国の栄華を誇る首里城の歴史と施設』新里千穂 2019.10.31
https://www.ielove.co.jp/column/contents/03243/

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上の画像:https://wowma.jp/item/420632451

タイトル画像:http://www.traveler-map.com/14481



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