《わたくしごと》大事にしていることを忘れようとしなくていい。
私には、もう4年ほど大事に想っている人が居る。
一時繋がり、離れ、また少しだけ繋がった。
お互いに苦しい想いを沢山したから無理矢理に離れたのだけど、結局お互い物理的に離れていても、見えない部分では未だに繋がっていることを自覚せざるを得なかった。
私は前を向きたかったし、
そこに留まり続けるのが嫌だった。
人生は有限で、これからの経験を阻むものを振り切りたかった。
離れることが苦痛であっても、きっとそれを癒やすような現実が訪れるだろうと思っていた。
時間は刻一刻と進んでゆく。
地球は『有限という最大のルール』が存在しているからだ。
私も、「今」という時を常に刻んでいる。
だから有限の世界を生きるため「大事な人」をある地点で置き去りにしたつもりだった。
でも、進んで行く中で何度振り返っただろう。
しかし、また前を向いて必死に進んできた。
置き去りにしたことに後悔はなく、
何度振り返ってもまた連れて行こうとは思わなかった。
無いことに慣れたし、無くても大丈夫だった。
なのに、ずっと呼ばれているような感覚があって、ついに現実的に呼ばれた。
目の前にして思ったのは、何も変わっていないこと。
「そうだ、こうやって笑う人だ」と憶い出し、
「そうだ、この独特な空気感の中にいたのだった」と憶い出す。
辛かったこと、苦しかったことなんて何も無かったかのように感じさせる雰囲気に戸惑った。
私は【もう過去のこと】として扱っていたけれど、本当のところは過去にはなっていなかったのだと思った。
会う、連絡を取るという現実的な繋がりがなくても、人は繋がっていられる。
例えば、高校からの友人たちとは普段連絡を取っていないけれど、それぞれがそれぞれをちゃんと《友人》として想っている。そして、ふと誰かが「会いたい」と思ったときに会う流れが起きる。
私にとってこの友人達はとても大切な存在で、これからもずっと繋がっていたいと思っているし、繋がっていくと確信している。
私の大事な人も、そういう存在なのかもしれない。
現実的に繋がりを持たなくとも、お互いの中で《大事》であると想い合う。
それでいいのだと改めて感じだ。
「関係性」という形はなくとも、「存在」として大事にしてゆく。
だから「形」として持って行くのではなく、「大事なもの」として心の中にしまっておく。
大事にしていることを自覚してよくて、忘れなくてもいい。
諦めなよとか、
次にいった方がいいよとか、
時間の無駄だよとか言われたとしても、
大事なものは大事なのだ。
むしろ、
これほど誰かを大事に想えることに感心して欲しいくらいに思う。
その人の何がいいのかと聞かれたら、
全部ひっくるめて、と答えよう。
「どうしうようもない」「まったく」と思うところはたくさんあるけど、素敵なところもたくさんある。
何より、私が初めて感情を露わにできた唯一の相手だ。
そんな人が、人生の中で現われた喜びを忘れたくない。
だた、それだけなのかもしれない。
だからあの人は、特別で大事な人なのだ。
あの人があの笑顔を、いろんな人に見せられるような人生になればいいと思っている。
どうしようもない部分も「しかたないなぁ」と他者に受け容れられる人生になればいいと思っている。
あの人が沢山の人に大切にされる人生になればいいと思っている。
私はこれからも、静かに想う。
miwa
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