古事記百景ほかの後日談【虎吉の毎月note】
『古事記百景』を中断してしまってから1か月以上の時が経ってしまっているが、実は切実な問題にぶち当たったのだ。
そもそも『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻から成り立っている。
昨年6月から書き始めて年末までに上巻に当たる部分を番外編などを含め三十九編を書き終えた。
年が明ければ中巻が始まる予定で、すでにいくつかは書き終えている。
だが、ここでハタと問題に気がついた。
少し整理しよう。
私の書く古事記百景は、原文、現代語訳、注釈、エピソードトークの4ブロック構成になっている。
前の3つは基本に忠実に書き上げていけば大きな問題は起きないと考えている。問題が起こるとすれば最後のエピソードトークにある。
これは、古事記の作者である太安万侶とゲストである神とがトークを繰り広げる仕様になっている。そうでない場合も若干あるがいずれにしろ太安万侶の独壇場であることは変わりがない。
今までは神代の世界のことなのでそれでよかった。
現に今までイザナギやイザナミには親しく口を利き、焼肉を食べに行く約束をしたり、スサノオなどには説教をしたり、オオクニヌシには苦言を呈したりしている。
だが、中巻、下巻は初代天皇から歴代天皇の話になる。面白おかしくエピソードトークを展開することは不敬に当たるのではないかと思い至ったのだ。いくら遠い昔の話であっても歴代天皇にこれが許されるのだろうかと悩んでいる。
では、エピソードトークを外せばいいかというと、それはただの翻訳本に過ぎず、多くの専門家らが取り組んでらっしゃるからそちらを見た方がいいだろう。
だとすればやる意味が見出せない。
ここで終了とするべきなんだろうか? 困った。
実はもう一つある。
noteを始めてひと月ほど経った昨年の6月下旬から、『訊く者』というタイトルで神様と人間の交流を描いた物語を書いていた。
当たり前だがフォロワーさんもほとんどいらっしゃらない状態だから、全然読まれることもなく、それでも番外編を含め二十巻までを昨年10月の終わり頃までに書いた。
そして二十一巻目の途中でつまづきそのまま放置されている。
これをリメイクしようかと考えているのだが・・・
一巻だいたい二万字程度の物語で、最近 note の世界では長いのは好まれないようだから二千字程度にに分割するとして一巻で十日、二十巻で最低でも半年はネタがあることになる。二日に一度とすれば一年は困らない。ヒヒヒ
あの頃のを全て引き上げて、加筆修正しながら新しく展開するのはどうだろうか?
加筆修正版を出すのは悪いことじゃないし、今ならもう少ししっかりしたモノを書けるかもしれないし、なにより読んでもらえるかもしれないし・・・
また多くの資料とにらめっこするのは少々気が重いがやってみる価値はあるかも。
なんていやらしいことを考えている今日この頃。
それ以外にも連載途中の物語が多々ある。
今年に入って続きを書くつもりが、毎日何かしらの投稿をしているので時間が足りない。少しずつは書いてるんだけど、中断して次書こうとすれば違うアイデアが浮かんだりしてまた戻るなどの繰り返しで全然進まない。
似たような展開になってしまうのもあったりするから困っている。
どうしたもんかなぁ・・・。
あの記事の後日談に参加させていただきます。
中途半端な感じですが、正直な気持ちです。
虎ちゃん よろしくお願いいたします。