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月日が流れるのは早いな〜

画像と内容は全くリンクしてませんが、すいません😆

さてさて、
今日は、夜勤です。
夜勤へ行く前にnoteを書いてるワケですが、バタバタして誤字脱字があればすいません。
見つけ次第訂正します。
なら、時間がある時に書けよって、自分でも思いますが、なんて言いましょう。
『書かねば』と、作家気分でえいやーと、書いてます笑

で、
冒頭でもいいましたが、今日は、夜勤です。3年前の9/24も私は夜勤でした。
『3年前の勤務も覚えてるの?』と、聴こえてきますが、覚えているのです。
多分、一生忘れないと思います。

3年前
2018年9月24午後5時〜25日午前9時まで夜勤。
そして、25日の14時に旦那さんが『未破裂脳動脈瘤の破裂を防ぐためのコイル塞栓術』のオペを受けるために入院しました。
未破裂の動脈瘤の破裂を防ぐためのオペですから、普通に歩いて入院したし、退院も歩いて帰ると思ってました。

それが、
25日に入院し、26日にオペ。
一緒に歩いてオペ室に行ったのに、旦那さんはオペ中に動脈瘤が破裂しクモ膜下出血となりました。
手術を受けるにあたって、血液サラサラの薬を内服してたから出血の勢いもあり右脳の大半に出血してました。

現在、左半身麻痺の車椅子生活で高次脳機能障害です。

『普通に入院したから普通に帰れる』

と、思っていた。

オペ室から戻ってきた旦那さんは、挿管されてて、全然意識も戻ってなくてスパイナルドレナージを行ってました。

現実なの?
夢なの?

オペ前の説明では、
『何かあっても病院にいるので対応は早いです。心配はありません』
って、
言ってましたよね?
なんなん?
この状態?

でも。
こんな状態でも

『決断して下さい』

みたいな感じで、同意書にサインを求められる。

考える時間もなくスパイナルドレナージのサインをしました。
血腫の排出し脳血管攣縮を軽減する目的です。
何故やるのか?
私も看護師のはしくれなので理解はしています。

ただ、
旦那さんは、
『障害をもつなら生かさないで』
と、ことあるたびに言ってました。

臓器移植ドナーカードは、眼以外全部希望してました。

そんな
旦那さんが生死を彷徨い。
次の日には外れると言われた挿管も抜管できず、3日後にやっと外せたけど意識レベルもまだらで発熱続けている状態をみて、
『私の決断あってたの?』
と、考え込んでしまいました。

3年たった今もまだ、考えています。

オペに行くまでの病院の廊下
オペ室
ICU室
オペ中に破裂し、クモ膜下出血を起こしたと、報告された部屋。
報告されるまでに通った廊下に階段。

全部、3年前なのに鮮明に覚えてる。

そして、今
その病院で働いてる。

毎日のようにその場所を通る。
慣れてはきたけど、
感情失禁
動悸
が、出てくる。
私、PTSDかしら?
と、思うほど。

まあ、それほどの衝撃だったのだと思う。

決断を迫られた人は多いと思う。

『あの決断は、あってたのか?』
って、
みんな未だに思っていると思う。

当たってるのか?
間違っていたのか?

誰にも分からないよ。

ただ、
旦那さんは、生きてるし。
リハビリも頑張ってるし。
早く家に帰りたいって言ってるし。

リハビリで
『未来』
って書いたし。

生きてて良かった。
と、思う。

あの選択があってたのか?
間違ってたのかは、

『最期の答え合わせ』

になるのかな?

『あの決断は、間違ってない』
と、思うような生き方をしないとね。
頑張るか〜。

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