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言葉にできない。

いやいや、言葉にできないくらいだったらいいじゃありませんか。僕なんてね、みんなが簡単にこなすようなことのほとんどができませんよ。もう、あれもこれも。

まず、ものをよくなくします。今もヘッドンホッホホのケーブルが二本、ないんです。ひとつのヘッドンホッホホに三本のケーブルを使い分けているのですが(メインとそのジャック違い、ジャック形状は同じだけどジャックのメッキや銅線の銅の含み率が微妙に違うもの)、そのうちメインの一本しか見当たらないんです。絶対作業室から出してないのに、何時間探しても出てこない。それもこれも片付けができないからであって、さすがにカップラーメンの空き容器とか吸い殻などが床に落ちているような状態じゃないのですが、もうなにがどこにあるかなんて、よほど大きいものじゃないとわかりません。簡潔に言えば、ものが散乱している、と。

今、これを書いているパソコンは容易に見つけられます。大きいから。これ、何インチなんだろ。iMac Proってやつです。あと、サブ機のMac Proもすぐに見つけられます。大きいから。ベースやギターもわかるんですが、どのケースにどのギターが入っているかはよくわかってません。ベースとギターくらいは区別が付くのですが、どれがストラトで、どれがテレキャス、どれがどれであれがどれか。むんむむー。よくよく考えれば、五弦ベースと四弦ベースもどっちのケースに入っているのかわかりません。

大きくてもこんな調子ですから、小さかったらもう。アクセサリーの類いなんてのはもう全然ダメ。メガネやサングラスも同様。カードの類い、事務用品、その他ほとんどのものは実際あるんですが、見つけられないんですから、もうないも同然。まずいのは本や洋服で、何を買って、何を買ってないかがわからない。なので、同じ本や同じ服がワンセットあるなんてのもよくあります。三冊同じ本(しかもタイトルに「ミニマリスト」って言葉が入っているやつ)があった時には卒倒しました。情けない。こんまりさんの本もワンセットあったり。でも、手放すっても、自分の持ち物全てに心がときめくんだから手放せないのは仕方ない。

もう、マキシマリストを名乗ってもいいくらいです。

昔からこんなだったっけなー、加齢によるものなのかなーと考えてみたのですが、そうそう、子供の頃からそんなでした。

今回はとりとめのない話になってしまいましたが、こんな僕でもなんとかなっているようないないような、でも心臓は止まっていないので、みなさん、自信持って生きて大丈夫ですよ。

今回はフリー版。次回は有料版書くか、有料版になんか音源というか、音素材みたいなものかも知れませんがアップしてこます。もしかしたらやったこともない読経に挑戦した音源かも知れません。やりたくもないのに、しかもみなさんも聞かされたくもないだろうと容易に想像できるのに、わざわざ。

では、ごきげんよう、また次回。


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