竹村健一氏に、ちょっと的外れな(?)追悼文を

とんでもない勘違いの可能性もあるんだけど、ちょっとここに書かせていただきます。
この前なくなった、評論家の竹村健一氏のこと。私の20代から30代のときは、もうしょっちゅうテレビにも出ていたし次々と新刊を出していた(ちなみに私は昭和35(1960)年生まれ)。私は氏の本は2冊くらいしか読んでいないし、特にこの方に興味があったわけではないんだけど、竹村氏が亡くなった今、ちょっとこれだけは書いておきたいことがあります。
竹村氏はいわゆる保守派としてのイメージが強いんでしょうが、もともとはマクルーハンの日本への紹介者。そして、むしろ当時の知的権威に対し(左右問わず)相対化し、特にアカデミズムや新聞、総合雑誌などのメディアを批判するところからスタートした人。
勿論それはマクルーハンの影響なんでしょう。ただ、竹村氏は最初の段階から、テレビというメディアを高く評価するとともに、テレビメディアは大衆を扇動するメディアではない、いい意味でクールなメディアだ、という言い方をしていたような気がする。
新聞や雑誌は、ある意味、総合的で詳しく事象を伝えるように見えて、実は特定のイデオロギーを扇動し、事実を捻じ曲げて伝えることに使われることがある。それに対し、テレビメディアは、当時その言葉はなかったけど、メインカルチャーに対するサブカルチャーのように、絶対的な価値観を説くよりも、個々人の趣味や趣向により様々な物事を相対化する。
当時の保守、左派を問わず多くの知識人はテレビは日本人を白痴化する、企業のコマーシャリズムに支配させると批判していたとき、逆に、新聞や雑誌のほうがよほど危険で、テレビは人間を逆に個別化し、様々な個性を趣味に基づく小集団を作っていく、そして、上から目線で国民を思想しようとする活字媒体より、消費者の目線で、かつ、感想がすぐに(視聴率などで)フィードバックされる参加型のメディアであるテレビの方がよほど危険性は少なく発展性もある・・・・
ほんとうろ覚えだし印象論なんだけど、竹村氏はこういう視点からスタートした人だったと思う。その後、量産体制になってからの彼の仕事は、時代に沿ってはいたけれど、逆に時代が過ぎれば忘れられていくのかもしれない。でもそれ自体が、「作品」を残すのではなく、自分自身がメディアでありメッセージだ、という点では、竹村流のマクルーハンの世界を生きていったのかも。
竹村氏のマクルーハン理解はマクルーハン本人の思想とは違う、というのはよく言われていて、その通りなのかもしれないけど、たぶん竹村氏はそんなことはあまり関心はなく、当時の左右の思想家やアカデミズムに対抗する武器として、そして、竹村氏なりのテレビというメディアへの期待としてマクルーハンを援用していたんだろう。
わたしが一番関心があるのは、晩年の竹村氏の沈黙。むしろ、竹村氏が語っていたような保守的言論が力を得てから、次第に竹村氏はテレビの場からもフェイドアウトしていった。体力の衰えも高齢もあるだろう。もう、特に訴えたいことがなくなっていったこともあるだろう。
しかし私は、竹村氏は、テレビが自分の考えていたような「クールなメディア」「扇動しないメディア」「物事を相対化する名ディア」ではなくなっていくような思いをしていたんじゃないかと、私は勝手に想像してます。いつか、テレビは必要以上に人を裁き、政治的に一方的なメッセージを流す、ある意味大衆扇動的なメディアになろうとしている。個別的な趣味の多様さより、娯楽番組も芸能番組も、次第に一元化したものになっている・・・正しいかどうかは別として、竹村氏はそんなことを考えていたんじゃないかと、ここ数日ちょっと思っていました。
竹村氏の読者ともいえず、ただ何となしに氏の過去のテレビなどの発言や、数冊読んだ本の思い出だけでこんなことを書かれては竹村氏も天国でご不満かもしれないけど、番組内では、竹村氏は意外なほど(失礼)異論にたいし寛容だった気がするので、売れないライターのたわごとなど笑って許してくれると思う。竹村健一氏の霊に、このまるっきり勘違いかもしれない拙文を捧げます。

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