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デビルマン crybabyを見た感想。あとネットにおけるフォーマット論。

※今年の一月にnoteデビュー作として書いて、そのまま放置していた文なんですが、もったいないんで出します!文面は基本弄ってないので、時系列は当時のままになっています。(トップ画像は公式サイトの画像をキャプチャ、引用したもの)

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 50周年を迎え、現代に蘇るデビルマン。ネットフリックスにてDevil Man crybabyを視聴終了したので、その感想をまとめます。(ネタバレなしアリでそれぞれ書きます。)それと合わせて、ネットコンテンツのあるべき形態、フォーマットについてデビルマンを例にすこし考えてみようと思った次第です。つまり、1クール10話~12話(アニメなら一話20分ちょい)をワン・シーズンとするのは、ネットでも必要なのか?というようなことです。これはオマケ。

 2018年に入り、そろそろnoteデビューしたいなーと思いつつも最初に何を書くべきかと悩み、1月も半分を過ぎようとしているので、とりあえず書きたいと思ったことを書いて始めたいと思います。そう、デビルマンを!

 はじめに言いますが、基本的に自分は漫画版デビルマン、つまり永井豪による原作至上主義者です。crybabyは良いアニメでしたが、これは変わりません。むしろ、改めて原作の持つスゴさを再認識した感があります。

やはり原作の持つ、熱気や狂気は別物

 アニメを見ながら原作を思い返していたんですが、やっぱり永井豪は頭おかしい(ほめ言葉)と改めて思いました。(原作読み返すのはエネルギーが要るので今度にします。)監督含め、豪華制作陣でもそこには太刀打ちできないんですよね、やっぱ。でも、そこと戦うことは避けて、それなりに落ち着いた作風(でも内臓は出る)であったり、お洒落になり過ぎない程度に現代風にポップにしている部分があります。そこを受け入れられるかがどうか。自分は凄い良かったと思います。ラップが良かった。


ネタバレなしの初見向けの感想

 卑怯なのかもしれませんが、一般論としての感想とデビルマンファンとしての感想を分けて書きたいと思います。前者はネタバレなしですね。

 では行きます!

 原作を知るものからすると、少し駆け足な部分もありますが、デビルマンの持つエネルギーや魅力を十分伝える出来だと思います。様々な漫画、アニメに影響を与えているので今となっては古くなってるのでは?という部分はあまり感じないようになっています。いい意味で現代化されているので、漫画原作をいきなり読むよりは入っていきやすいのかな、と。

 特にアニメとしてよかったのは戦闘シーンですね。ビームとか派手なものはないですよ、原作準拠のデビルマンは。ヒーローらしからぬ敵の体を引き裂く、というのが基本ワザになりますが、どれもカッコいいのです。ストーリー的にも、デビルマンは"怒りと悲しみのヒーロー"なのだと思うので、そこがきちんと表現されているのが良かった!
 
 繰り返しますが、永井先生あたまおかしい(褒め言葉)ので、原作ファンは感覚おかしくなってますが、それなりにグロいシーンが多いです。が、世界に配信することを考慮して、抑えられているな、という部分も少なからずあります。単なるショック演出ではないので、ぜひ怖がらず多くの人に見て欲しいなと思います。体感時間5分であっという間ですからね。もったいないので3話ずつ見ましたが一気に見れる出来です!

では、ネタバレあり、多少の批判アリ、原作信者の感想行きますよ↓
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ネタバレあり批評。

10話じゃ足りなくないか?問題

 良いアニメで満足しているんですが、振り返ってみると、もう少し時間をとってもよかったようなシークエンスがいくつもあり、結果的にそれが駆け足気味な展開につながったのだろうし、やはり尺がすこし足りなかったんじゃないかと思いました。
 10話にするにしろ、各話の中身に応じて時間を増やすというような柔軟な対応があってもよかったような。それができるのがネットだと思うので。具体的には、ジンメンの回の流れだったり、ミキちゃんの私は魔女だ!と啖呵を切る場面だったり。もう少し間があってもよかったような気もします。11話か12話あってもよかったのかなぁと。

いくつかの改変について

 現代の時代に合わせた改変、世界に向けて配信するので、多少の表現に気を使わないといけなかったりで、いくつか原作を改変しています。基本的には、あくまで現代版デビルマンなのだからと受け入れることは出来るのですが、悪名高き、実写映画版(見てません!)のアイディアを意外と取り入れているようです。つまり、明と了の関係の因縁を掘り下げる、ということですね、幼馴染として。
 それ自体は別に良いんですよね、ただ原作と違って了というかサタンの性格が変えられすぎていたし、終盤凄い大事だと思っていた台詞もカットされていたりと、そこらへんはちょっと気になりました。

 どういうことかというと、原作のサタンは自分が本当は何をどうしたかったのかについて、記憶が戻った時点既に自覚しているんですが、crybabyのサタンは終盤ギリギリまでわからないで、明の死に気づいた時点でようやく何かおかしいぞ!と気づくレベルなんですよ。


 これの最大の問題は、初見の人にとって、サタンの意図が分かりづらいじゃないかなと。かなりサイコパス。つまり、原作のサタンは元天使の魔王でありながら明を愛してしまい、しかし人間は滅ぼしたいと思った結果、いろいろ滅茶苦茶やったワケで、勝てそうにない明が自分のところに来るのかという部下の問いに対して、『明はワタシを殺したくてしょうがない』と答える。つまり、明にとって一番大事なものを奪ってしまったという自覚があると。
 しかし、crybabyのサタンは最後まで明が何で怒ったのかよくわかってないんですね。つまり、人間として暮らしてきたわりに、感情について無頓着すぎる気がします。むしろ原作ファンとして、初見の人にここら辺伝わるのかなぁって心配なんですが、どうなんでしょうか。

 あとは意外と表現は抑えている点ですかね。まぁ麻痺してんですよ、原作ファンは(笑)原作絵だからギリギリセーフになってる部分ってあるし、今回のアニメの作風だからセーフな部分もあるし、難しいですが、せっかくネトフリなので、美樹ちゃんの最後の姿は、もうすこしモロ出しでもよかったような気もします。(ヒドイ・・・)


 とりあえず批判があるとしたら、ここら辺だけですかね。あと見る前に飛鳥了のわかめちゃんへヤーが気になってたんですが、最後まで微妙に馴れなかった(笑)
 推測ですが、いくつかの改変は10話の中に収めるために仕方なかったのかなぁと思うので、そこらへんはネトフリの予算の問題だということにしておきましょ。


感想のまとめ

 というわけで新年早々よい作品を見れてよかったです。見終わっていろいろネットで評判見たりしてますが、原作ファンでは賛否両論みたいっすね。でも、まぁリアルタイム世代だと複雑な感想になるのは分かるかもしれません。自分は後追い世代の若造ですが、今回のアニメ化は原作に敬意があり、ちゃんと今やる意味のある現代的なテーマに昇華しており、なによりデビルマンがかっこよかったので、やって大成功だと思います。


ネットコンテンツのフォーマット論

 というわけで、デビルマンcrybabyを見て感じた、ネットコンテンツのあり方、フォーマットについての私見をまとめます。一応上の部分までで、純粋なデビルマンへの感想は終わってます。

 最初にも書きましたが、"ワンクール"というような従来の概念に縛られる必要があるのか?ということです。たぶんこの概念は、テレビ業界のいろんな都合を元に出来上がったドラマ、テレビ作品の構成のためのフォーマットだと思うんですが、それにネットが付き合う必要があるのかということです。

 今回、デビルマンに合わせてネトフリに加入したわけですが、まず全10話を一気に配信という部分で驚きました!でも、それも当然でテレビにはシーズンごとの番組校正があり、番組表に基づいて放送されるけど、ネット配信にはそんなものないので、一気に配信しても何の問題がないんです。

 要はネットはネットというメディアの特性に則した、フォーマットがあるに違いないわけです。ネットでの映像配信その他、コンテンツの配信は既に当たり前の世の中になっていますが、実はネットにふさわしいコンテンツのフォーマットというのはまだそれほど追及されていないのでは?と感じています。

 音楽で言えば、レコード主体の時代はアルバムという単位で作品がまとめられていましたが、今となぅては一曲単位での販売がむしろ主体であり、リスナーも自分の好きなようにプレイリストを編集しますし、ストリーミングが主流になりつつあります。

 今回、デビルマンを見て思ったのが、別にアニメだからといって一話30分枠にする必要は無いし、必要なら45分を10話分とか柔軟な構成でもいいんではないかと。ただし、実際問題、作り手に現状のフォーマットにあった作品造りが染み付いているだろうから、必ずしも上手くはいかないだろうとも思います。
 つまり、従来のTVアニメ業界なら一話20分チョいで数回CMはいって~で12話構成なら最終回3話前ぐらいに急展開があって~みたいなテンポ感ですよね。やっぱ作り手としては、そういうものに縛られていると同時に、そういう決まりがあるから作品を作れるという部分はあると思うので。


 従来の常識を捨てて、と言うのは簡単ですが、現実には難しいです。ただし、そろそろネットというものに則した新しいフォーマットを音楽にしろ映像にしろ、積極的に試していく時期なのかなぁというのは思いますね。

自分は音楽方面で新しいフォーマットを作り出していきます!!

活動資金とさせていただきます!