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半径5メートルの内と外

私が「一度ネットに上がった映像は(たとえメーカーが非を認めて削除しても、それを購入したり画像を保存していた人が、勝手にネットにあげることがあるから)半永久的に残る(と、本当は望んでないのに強要されたり騙されたりしてAVに出演させられてしまった女性を支援している団体の人が主張している)」という内容のツイートをするたびに、「そんなことはない、数ヵ月で店頭からもネットからも消えるし、昔のAVを探そうとしてもどこにもない。半永久的に残るなんて嘘だ」というリプライをしてくる人がいた。

良識あるAVメーカーなら、出演女優が引退し、他の活動を始めたり結婚することになったりしたときは販売を中止すると聞いたことがあったし、そもそも昔のAVをネットで販売しても、そんなに売れるものではないし、1週間の視聴で300円程度の売上のなかから、メーカーにいくら入るのかと思うと、昔のAVをリモザイク(という言葉を初めて知った)してネットにあげるほどの価値はないだろうし、「個人が昔のAVの画像をあげたら、引退したAV女優の関係者が見てしまって過去がバレる」なんてまずない話だと思った。

ただ、ネットというものがある限り「そうなる可能性」は否定できないのであって、まずあり得ないような不運を怖がってずっと縛られている女性がいるとしたらかわいそうだし、それはメンタル面での支援が必要だと思っていた。

しかし、とあるAV販売サイトで知り合いの名前で検索してみたら、もう20年以上前のAVが3作出てきて、驚いてしまった。
(Google検索でも出なかったのでないと思っていた)

その人の名前で検索してヒットしたものが3作なだけで、もっと多くの作品が「リモザイク再配信」されているかもしれない。

私は気になってはいるが、あえて探してみようとは思わなかった知人の作品が1000円ちょっとでダウンロードできて、いつでも見られることにわくわくしてきたし、その人は自分の過去を肯定しているので、別に私が昔の作品を見たからといって気にすることもないとは思うが、昔の作品が再配信されていることを恐怖に感じている人も多いはずだ。

それにしても「自分の好きな昔のAVがどこにもなくて、見ることができない」ことをことあるごとに、私に訴えてくる人は「再配信」のことをどう思っているのだろうか?

自分の好きな作品はAVメーカーにもないらしく、再配信される可能性はないのだろうが、そのことと「すべての昔のAVはどこにも存在しない」「支援団体の『半永久的に残る』は嘘っぱち」ということは同じではない。

この男性は好きなAVが見られないことを悔しがったり、メーカーにも問い合わせをしているそうだから、AV愛好家と言ってもいいだろうが、そんな人の口から「AV強要被害者を同情する言葉」が聞かれたことはない。

はあちゅうさんの言葉で「半径5メートルの野望」という言葉がある。

ひとりひとりが自分の周囲5メートルの幸せだけを願って、それが叶うために努力していたら、それぞれの5メートルが重なって、すべての場所が幸せで溢れるという意味だ。

自分の幸せだけでなく、自分の幸せに関わる人たち(私の場合、名前も顔も知らない元AV女優さんや真面目なAVメーカーの人たち)の幸せも考えられたら、その5メートルの輪がもっと広がると思うのだけど、本当に欲しい小さな範囲でしか「幸せ」を考えられない人もいるのだと悲しくなった。

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