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とあるテレビ番組の話

昨夜、仕事中、お客さまとホテルでテレビを見てたら、とあるキャスターが司会で小池百合子東京都知事と歌舞伎俳優の市川海老蔵がゲストの番組をしていた。

いくつかのテーマについて、ふたりが対談する形式のようで、番組を見始めてしばらくして、新しいテーマが提示された。

テーマは「親の死」で、まず、小池都知事に話を振り、父親の数ヵ月後に母親が亡くなったこと、母親は自宅で看護し看取ったことを尋ねた。

それに対して「母親は末期の……」と言いかけて、対談相手を伺うように見て、「この話題は変えましょうか?」と都知事が言い、司会者が「海老蔵さんもお父さんを急に亡くされて……」と振り、「(歴代の)海老蔵と團十郎が一緒に存在するはほとんどなく、私の襲名後、1週間でな亡くなったので」と、歌舞伎の歴史を含めて30分ぐらい聞きたい話を、かなりの早口で話した。

現役の都知事が歌舞伎役者に末期ガンの母親を自宅で看取った話をするのは、なんの問題はないように思えるし、その話をつまらなくするか、おもしろい話にするのかは、司会者の力量に掛かっているかもしれない。

しかし、その歌舞伎役者に(おそらく末期の)ガン患者がいるとしたら、話は別だ。

その死を覚悟しながら、病気の妻の看病する人に、同じように家族を亡くしてときの話を聞かせようとする番組製作者側の意図が分からない。

もしかしたら、そんな話に自分の妻を思って涙を流すシーンが撮れると思って、そんかシーンを視聴者が見たがっていると思ってのテーマ設定なのだろうか?

だとしたら、視聴者は他人の不幸を喜び、それを消費することに快感を覚えるもので、テレビ番組製作者はそんな下品な心理に付け込んで、自分の利益を得ようとしていることになる。

小池都知事が母親を自宅で看取った話は、彼女のような裕福な施政者が、自宅で親を看取るためにどれだけの費用を費やしたか、それができる人たちに、一般市民の状況や心情を理解し、その人たちにとっていい施策を考えることがどれだけ困難なことなのかを、視聴者が考えるいい機会になるだろうにと、なんだか残念であった。

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