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「今目の前で起こっていることと」と「ネットで不特定多数の人に繰り返し見られる」 ことの区別がネットネイティブにはつかなくなっているのか?

私はネット上でも源氏を名乗っている。

ツイッターでは源氏名とは別の名前でお店の名前でもプライベートでも吐けない愚痴を書いているアカウントが多いが、どんな気持ちで働いているかを知ってもらいたいためなので、源氏名を使っている。

そのために、集客の妨げになりそうなこと、本名や住んでいる場所が特定のされそうなことは書いていない。

一応「これはネットにあげたらよくない」という判断をして送信している。

しかし、生まれたときからネットが普及していた「ネットネイティブ」の若者たちは、「ネットにあげていいもの、いけないもの」の区別がつかず、仲間内なら許されることもネットにあげて問題になっている。

少し前に起こった「バイト先での悪ふざけ」をネットでさらして、そのお店を営業停止に追い込んでしまったり、慶応大学生の集団レイプ事件のように、同じ大学の女性との性的行為をネット中継するなど、想像もつかないことが起こっている。

レイプ自体の罪のなさも恐ろしいが、ネットにあげ、不特定多数の人に晒すことへの罪悪感もなさも恐ろしい。

最近、電車のなかで見つけたおかしな人を盗み撮りした動画をみかけるが、これも「人のことを勝手に晒す」ことに対して悪いと思っていない。

「レイプAVばかり見た男性はレイプするようになる」などとテレビや映像のなかで起こっていることを現実のものと錯覚する恐れを指摘されるが、それは現実のものになっていない気がする。

しかし、「今、目の前で起こっていること」と「ネットで不特定多数の人に繰り返し見られる」との区別が、ネットネイティブの間ではつかなくなっている気がしてならない。

もしかしたら、20年後には「現実に起こっていたすべてのことがネットで再体験できる」ようになっているのかもしれない。

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