失くした場所

国分寺市の上の方、ほとんど小平市くらいのところにある中古マンションにほんとはずっと暮らしたくて、久しぶりに国分寺駅に行ったら、まぁ、北口が新開発で、大っきなマンションが建っていて、あの果物屋さんの中のケーキやさんも、ぎゅうぎゅう詰めのお寿司屋さんも、ジャズバーも失くなっていた。

果物屋屋さんに並ぶケーキは手作り感が満載で、作る人の手が思い浮かぶようなケーキだった。
ゴテゴテの生クリームは左官職人が塗ったのか、というほど愛らしかったし、サービス精神旺盛でどんどん大っきくなっていったんだろうな、というサイズ感からは、懐の深さを感じて、初めて田舎から東京出てきた私には、それだけで有難い、というか、安心できるものだった。

お寿司屋さんでは、小さなお店の中に、長方形の木のカウンターで、お客さんぎゅうぎゅう詰めの店内には、ぐるぐるとお寿司がベルトコンベアーの上にちょこんと乗って回っていた。
何故か分からないけど、特に記念日でもなかったけど、板前のおじいちゃん、おじいさん、どっちでもいい、が、小指サイズのお寿司を作ってくれて、それを小さな小さな柄杓のようなものに乗せて出してくれた。
嬉しくて、嬉しくて、でも嬉しすぎるとそれをあまり顔に出せなくて、ただ馬鹿みたいに写真を撮りまくった私は、食べるのがもったいなくて、ネタがカピカピになるまでそれを置いておいたのを覚えている。

そして、職場の人にすすめられはしたものの、行ったことのないジャズバーは、どこか西海岸を思わせるような外観で、違う世界に連れて行ってくれるような小さな入口から続く階段には、一歩踏み出すことができなかった。
村上春樹でもちゃんと読んでないと入ってはいけないような、そんな気がして、誰かいい大人に連れて行ってもらおう、と思ううちにおばさんになってしまった。

それもこれも、全部立ち退きを迫られ、大きな力には逆らえず、金にモノを言わせたどこぞの財閥に従う他なかったのであろう。そりゃそうだ。
たしかに、夜は少し治安が悪かったし、雑多で入り組んだ道にはバスが入って来るのには狭すぎたけど。
時は過ぎた。

そして、中古マンションだ。
その中古マンションはベランダにメンシテ鬱蒼とした森があった。日当たりはよくなさそうだったけれど、まるで違う世界にいるような、入っていけるような場所がすごく気に入って、いつか買いたい、そんな些細な夢があったのだが、物の見事につんつるてんだった。
森の所有者が気を遣ったのか、マンションの住人が、日照権だか、虫がいやだとかなんだとか苦情を出したのか。
そんなことは、外の人間には分からない。

なんだか居場所を失くしたような気がした。
今、この場所から逃げたくなった時に、その場所を思うだけで少し楽だった。
だけど、そこはもうない。
私は、ひとつ居場所を失った。

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