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宮城県石巻市釜谷山根「大川小学校跡地」

リチャード・ロイド・パリー著『津波の霊たちー3・11生と死の物語』を読んでからずっと訪問したいと思ってい大川小学校跡地を昨年10月24日、一緒に行きたい言う母と妹を車に乗せて訪問した。
津波にのみ込まれた地域なんだろうと思いながら、新しく造成されたエリアを眺めながら北上川沿いに河口に向けて車を進めると慰霊碑と立ち入りを禁止するビニールロープがわずかに見える建物が見える。保存とはほど遠く、さらけ出しているといったほうが合っていると思う。周辺の荒涼とした景色と相まってそれがかえって当時と現在の時間的な距離を一気に縮めてくれる。
立ち入りを制限している校内以外を歩いて見て、避難を誘導された「三角地帯」避難していたら助かっていたかもしれない「裏山」迫ってくる津波を視覚的に遮った丘などを実際に目にすると、著書に書かれていた時間経過が目の前の状況にオーバーラップして映像として浮かんでくる。体が震え目に涙が浮かんでくる。

この震災では多くの方が亡くなった。大川小学校では74名の児童が亡くなった。明日で8年というがついこの前という気もする。首都圏の復興のスピードに比べてなんと地方のそれが遅いことか。何度も東北道を行き来しながら最大の被災地が後回しかと思った。

私達にできることは今を生きて冥福を祈ること、忘れないこと、想うこと。
2019.3.10

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