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本日の猫たち #008

猫たちと暮らしていると、猫たちは人間が認知できること、人間が言葉でやりとりする情報以上のことを、本当はわかっているのではないかと思わせられることがあります。

猫と生活していると、定期的に動物病院に行くことになります。
健康な猫ちゃんでも、健康診断やワクチン接種で年に数回は動物病院のお世話になるのではないでしょうか。

うちの猫たちはありがたいことに、そこまで病院嫌いではなく、キャリーには入ってくれるのですが、三匹の中で一番病院に行く回数が多かった妹猫(元虚弱体質)は病院に着くまですごく緊張します。カチンコチンです。
(「大丈夫だよ~」「心配ないよ~」と声がけすると、余計に不安をあおって緊張するので、こちらも平常心であえてスルー)
いつもお世話になっている先生やスタッフさんがやさしいので、着いたら着いたで「なんだ。この人たちか」とリラックスするのですが、帰宅するまでやっぱり緊張状態で、キャリーの中にしいた毛布にもぐりこみ、じっとおとなしくしています。(借りてきた猫…)

そういう感じなので、動物病院の日程は、猫たちの前で絶対に口にしないようにしています。三匹の誰が病院に行くかも話しません。
先住猫、兄猫が病院に行くときは数日前からキャリーを出して準備しますが、妹猫のときはいつもふいうちを狙います。緊張しないように、また直前に逃走しないよう、当日までそしらぬふり。

でも、そういった私のもくろみはすべて猫たちに筒抜けなのかな、と感じることがあります。

***

前置きが長くなりましたが、今日(もう昨日になりました)は妹猫が病院に行く日でした。
私は妹猫を動揺させないよう、直前までふつうに過ごしました(私自身、うっかり病院に行く時間を忘れかけたくらい…)。猫たちも日中、ひなたぼっこしたり、追いかけっこをしたり、一緒に寝たりと、くつろいでいる様子でした。

大運動会後(上から先住猫・妹猫・兄猫)

でも、あとでそのときに撮った写真を見返したときに、ちょっとした違和感に気がつきました。
兄猫も先住猫も、いつも以上に妹猫に寄り添っているのです。

兄猫(左)と妹猫(右)
妹猫(左)に寄り添う先住猫(右)


うちの三匹はいつもくっついているのですが、その日動物病院に行く猫に対して「大丈夫だよ」と励ますように、いつも以上にやさしく寄り添うのです。ぎゅーっとハグし、さながら応援エネルギーを送っているかのように。

私がなにも言わなくても、皆、今日は「妹猫が病院に行く日」とわかっているかのようでした。

妹猫を病院に預け、一時帰宅した後、先住猫に事情を説明しました。
「妹猫は病院だけど大丈夫だからね。すぐ戻れるからね」

そう言うと、先住猫は「やっぱりね」という顔をしました。
短い説明だけで、先住猫は自分がやるべきことを、瞬時にさとってくれるのです。

兄猫、妹猫のどちらかがいないとき、先住猫は残されたほうのメンタルのケアにまわります。
いつもは「うぇーい」で遊びまわる兄猫ですが、今日はどことなく静かで、ごはんのときにいない妹猫をさがし、心配そうにしていました。
先住猫はそんな兄猫のもとに行き、寄り添いながら「大丈夫だよ」とやさしく舐めるのです。

兄猫をやさしく舐める先住猫

不思議なことに、人間がいくら「大丈夫だよ。すぐに帰ってくるよ」と言ってもだめで、先住猫が舐めると落ち着くのです。

うちの猫たちは先住猫以外、ほとんど鳴かないので、ニャーニャーと会話をしているところなど見たことがないのですが、皆、驚くほどいろんなことをわかっています。人間の感情の機微にもするどい。

これを打っている今、先住猫が私のところに来て、手の甲を舐めました。

「妹猫も兄猫も大丈夫だよ」

そんなことを言っているような気がしました。

***


猫たちと生活すると、大変なことは多々あります。
病気のとき、入院したとき、治療のとき、どれだけ自制しても、おそろしいほど感情が揺れ動きます。
「一口でも食べてくれた」ことがうれしくて、その日一日、幸せな気持ちになったかと思うと、なにも食べてくれなくて、どーんと落とされたりもします。
でも「猫たちがそこに存在している」ことだけで私は満たされ、お世話自体はそれほど苦にならないのです。


猫たちと生活していくうちに、世界に対する自分の認識がどんどん変わっていきました。

これまで(なんらかの犠牲を代償に)なにかを成し遂げることが幸せだと思っていました。世の中にはそういう作品が溢れています。
日常の小さな幸せを我慢することによって得られる大きな幸せのほうが尊い。苦労や努力をしたからこそ、報われるというのが、王道の展開です。

いろんな考え方があると思います。

でも、私個人はなにかを成し遂げるまで(苦行のように)日常の幸せを我慢しなくてもいいのではないかと思うのです。
(だからこそ、従来の小説を書くことに迷いが出るのかもしれません)

幸せは今このとき、日常にこそある、と私は感じます。
別に幸せのハードルを下げたというわけではありません。

平凡な日常というのは、実は一番の奇跡なのではないかと。

猫たちの顔を見たり、ふかふかの体を撫でたりしながら、思ったりするのです。


世界中の猫たちが健やかで、幸せでありますように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺

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