頭から離れない「俺も会いたかったぜぇ」

ちょっと前の話です。珍しく長いです。
Tweetでポストしようとメモとしたんだけど、気がついたら20連くらいのポストになっていたので流石に読みづらいと思いnoteに転機。


数影月前の話。
高校生の時から大好きなバンドのライブに行きました。16年前のリバイバルツアーということで、大学生だった当時大阪城ホールで買ったTシャツを引っ張り出してきて1人で参戦。16年前のライブを思い出しながらどんなセトリになるかわくわく。席はなんとアリーナ10列目。

ライブ開始。当時聴いていた音、変わらない火の鳥のシルエット、当時の自分の状況、今のメンバー、16年前から変わらないこと、進化していること。

目を瞑ると当時アルバムを聴いていた景色がフラッシュバックされ、一曲一曲それぞれの思い出と景色が蘇る。途中、マスクの下で何度も「すごいなあ」って呟いていた。時空を超えた感覚。

ちなみに16年前の自分はちょうど就職活動中。アルバムが出た時は企業インターンに参加中で、メンバーたちと夜な夜なグループワーク。
最終プレゼンの前に聴いた「僕は君を 信じたから 信じたから」って歌詞の景色がぶわーっと襲ってきた。梅田の喫茶店で栄養ドリンクを飲みながらのあの景色。当時のチームメンバーはそれぞれ元気にしているだろうか。

さて、ライブの景色に話を戻す。
座席の周りは女性だらけ。開始直後から身体が熱くなってきて汗ばんできて、「しまったもっとアセケアしとくべきだった、臭い漂ったらごめんね。頼むからどうか気づかんでくれ」と心の中で祈り、周りのお客さんとは目が合わないようにして音楽に集中する。
好きなだけ腕を上げまくり跳ねまくり。ひと目は気にしない。(身体からの匂いは気になるけど)ぼっち参戦ってこういうこと。

途中、ステージが後方になったときに振り向いたら後ろの席の女性は背が低く申し訳ない気持ちになった。自分ってこんなに背が高いんだっけって錯覚した。女性に「席変わりましょうか」って言おうか迷った。けど言えなかった。

バンドは毎回MCで「しんどかったら座って聴いてくれていい。無理して立たなくていい、体調悪くなったらすぐに助けを求めて」って話をする。それから「今日のメンバーでやるライブは今日だけ。」とも。
何年か前のライブでは「じゃあ隣の人によろしくってそれぞれ挨拶しよう」っていう時間を振ってくれることもあった。

自分は結構そのMCが好きで、隣の人に一言声かける心地よさが好きだった。知らない人なんだけど、好きなアーティストを介すことで笑顔になって、心開く瞬間ってなんか心地よくて。
そんな経験から、毎回ライブ前に隣の席の人、特にぼっち参戦の人には声かけようか実は迷う。
でも30歳後半になったおじさんに若い女の人が声かけられたら変な不安を与えないかなって、思い出を邪魔しないか心配になって自分からはなかなか声がかけられない。

ぼっち参戦にはぼっち参戦の楽しみ方があって、知らない人に話しかけられて嬉しい人とそうでない人がいるだろうから。
自分はここ数年ぼっち参戦に慣れちゃって、ハマっているから話しかけられても気にならないんだけれど。

そんな中のある出来事。

曲の合間。ステージ上は暗転していてファンがあれこれメンバーに向けて声を投げる。
隣の席にいた女の子(注:通路際だから間違いなくぼっち参戦)がステージに向かって「会いたかったー!」ってよく通る声で叫んだ。よく響いた。
自分も心のなかで、「そうだよな、叫ぶ気持ちわかる」「俺も女の子だったら叫んでるかも」「でも俺はよー叫ばん・・・」って思った瞬間の出来事。

Voがマイクに寄ってきて、「俺も会いたかったぜぇ」って叫び返してくれた。
これはすごいこと。
おおすげえレスポンスきた。
隣りにいた女の子のお陰で、なんか自分にも言ってもらえた気分になれた。感謝。これはすごいこと。
「俺も会いたかったぜぇ」は彼女に向けて投げられたけど、完全に自分もCc的に受け止める。

続くライブ。
気がつくと、彼女はしばらく泣きじゃくっていた。
そりゃそうだよなー、感激するわな。

って思いながら少しずつちょっと彼女が心配に。
仕事柄、イベントが盛り上がっているときこそなにかトラブルが起きている可能性がないか?って心配になってしまう性格。
ライブという興奮状態の中において、体調異変は誰にだって起こり得ること。

泣いていることに気がついたときから、「大丈夫かな、でもこんな人生最高のプレゼントを受け取った瞬間に隣のわけわからん汗臭いかもしれない知らないおっさんに話かけられたら思い出を汚しちゃうかな。ペットボトルのお水渡そうかな、いや、すでに開栓しておれ口つけているし渡すとかありえんし。本編終わったらお水買いにいって渡すか?いや、お水くらい流石に持ってきているかもしれんし」とか思い、声をかける勇気はない。

曲は続く。彼女は泣いている。
彼女が泣き続けていることに気づいているのは自分だけだろうか。
となりにいる、ある種責任感を感じる。
彼女がいま全身で感じている一生物の感動を邪魔しないのも自分の責任。
でも彼女の体調にもしなにかあれば、それを守ることができる可能性があるのも自分の責任。

非常口はどこか、AEDがあるとしたらどこか、スタッフに気づいてもらうとしたらどのタイミングか、誰にどの合図を送るのが良いかをシミュレーションしながら、右のこめかみに注意を配る。


それでも当然どんどん続くライブ。
自分の記憶では15分くらいか?
しばらくぐすんぐすんいっているから、最終的には「もし過呼吸になったり倒れたりしたら絶対にすぐ助ける」って心に決めて、意識は右耳で彼女の様子を伺いながら、目と腕と呼吸はステージに向けてライブを続ける。


数曲終わると、流石に彼女は泣き止んでいた。
そしてまたライブを楽しんでるようだった。
少なくとも右のこめかみからは、泣いている彼女がこの先倒れそう、という状況ではないと読み切った


話は変わって以前、別のバンドのライブで実はこんなことがあった。

オープニングのバラードのイントロが始まったところで隣の女の子がキャーキャー、Voの名前を叫ぶということがあった。バラードのイントロでそれはないだろうと思って、
流石に堪えられなくて肩を叩いてちょっと落ち着いてもらうように伝えたことが合った。ライブの楽しみ方は人それぞれだから押し付ける権利なんてないんだけれど、
「流石にこの楽しみ方は他の方も不快に思っているのではないか?」という気持ちに耐えられなくなったのだ。
ライブ後、「嫌な思いしてたらごめんね、でも気持ちはすごくわかるよ。わかったよ」っていったら、彼女は「いえいえ、こちらこそすみません。興奮しすぎちゃって」と笑顔で返してくれて、その場は平和に終わった、という経験をした。
その時に使った「気持ちはめちゃわかるよ」っていう共感が、すごくキーになったことがなんか頭の中にあった。このライブは10年くらい前の武道館だったか。東京ドームだったか。いや、武道館だったな。

さてさて、再度話をこの夜に戻す。

女の子も無事に状態が戻り、本編が終わり、アンコールも終わり、最高なライブが無事に終了。


ライブ後。
隣の女の子に「大丈夫だった?しんどくなかった?声掛けなくてごめんね。Voがメッセージ返してくれてよかったね」って話しかけようか迷った。うーん、どうしよう。

するとそんなことを思っている途端になんと彼女の方から「すみません、、、途中私が「会いたかった」って言ったらVoが「会いたかったぜ」って返してくれましたよね?」って話かけてきてくれた。
たぶん興奮しすぎて、夢みたいな出来事過ぎて、現実を確認したくなったんだろう、と。
漫画的に言うと、ほっぺたつねって「夢じゃない!」っていうようなシーンの心境だったのかと。

「うん、間違いなく返してくれたよ。すごいよね、よかったね。」って返したら、とてもにこっとしてくれて、感激を噛みしめるようにいろいろと話しをしてくれた。

そのあと出口まで歩いている間に、彼女は去年NHKの企画に参加した話とかをしてくれた。近くの席のお客さんがゲットしたピックの写真も共有してくれた。

バンドはMCで「俺たちの作った音楽を真ん中にして、俺たちとみんなの待ち合わせがうまくいって今日のライブが成り立っている」って言ってくれたけど、それは決してお客さんとバンドだけじゃなくて、お客さんとお客さんの待ち合わせでもあったんだなと実感。

話しかけようかどうか迷って、勇気がなくて話しかけないで帰ろうと思ったけど、彼女の方から話しかけてくれて、それだけでまたライブの思い出に一つ追加の思い出と学びが付加された、という体験。

これからも彼らの音楽を聴き続けて、ライブにもまたぼっち参戦したい。

ライブからかなりの時間が経った。
でもなんかこの体験は忘れられなくて、忘れたくなくて、メモにしてみた。

時空を超えたライブで、ひとまわり以上離れた隣のお客さんと共有できた時間と体験っていうただの38歳のおじさんの話。

全部読んでくれた人がいるかどうかわからないけど、読んでくれてどうもありがとう。
また必ずライブ行きます。
そして日本のどこかで、会いましょう。

気がつけばテキスト打ちつづけて2時間。

「生きるのは最高だ」


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