盗作

メディアにほぼ出ず、顔出しもせず、それでも同年代の半数以上が知っている、もしくは聴いたことがあるのって、やっぱり彼の音楽に魔力に近い何かが宿っているんだと思っていたけど、皮肉みたいに「売れる音楽のつくり方」をしているのかもしれないと思って笑えてきた。そんな自分の思い通りに売れてしまうなんてつまらないんじゃなかろうか。

アルバム『盗作』聴きました。
がっつりネタバレ含む感想です。聴いてない方はもちろん、合わないな、不快だなと思ったらすぐブラウザバックしてください。なんか二次創作の前書きみたいだな。

 とは言ったものの、どこから話せばいいのかわからないです。途方もない感情が押し寄せてる。それもごちゃごちゃした何かではなくすごくシンプルなもの。目の前に見渡す限り凪いだ無機質な空間が広がってる感覚、と言えばわかるかな。その空間のあちらこちらに小さな突起ができていて、それに気づかず蹴つまずきながら迷子になっているの。蹴つまずく度に心のどこかが擦り切れているんだけど、如何せんどこに突起があるかも、そもそもどこが擦り切れているのかもわからない。これ絶対伝わらないな。でもまあ覚え書きに近いものなので(あと図書カードが欲しいための文章なので)別にいいです。私にしか、というか私にすらわからなくても。

最初からいくか。
学校からダッシュで(天が味方して中央特快に飛び乗れて)帰ったらなんかデカくて質量感のある箱が机上にあって笑ってしまった。毎度の事ながら、自分は一体何を買ったんだ?と疑問をもちながらAmazonのあの柔らかいビニールを破いて、ご対面。表紙を撫でながら、これで五千円は安いとか喚いていた気がする。これで五千円は安いけど、まあやっぱり五千円って高いよね。プレーヤーセットも買ったので、もう財布がカツカツです。
ご対面したはいいものの、心の準備が整わなかったのでここで一旦プリンを食べます。おいしかった。

まず小説を読む前に一回曲を全部聴きました。歌詞を眺めながら。
そしたら、これがびっくりなんだけど、今まで(負け犬やだぼやめの時)は聴きながらずっと「私以外誰も見るな聴くな全部壊れちまえ!」みたいな過激派思考が付きまとっていたんですけど、今回はそれもなしにぼうっと流れていってしまった。
単に私の感受性が変わったのか、n-bunaさんのつくる曲が変わったのか。
今までは心の深い底を触るような、揺さぶられるような曲ばかりで、初聴きの時は必ずぼろぼろ泣いていたんだけど、今回はそんなこともなく、あんぐり口を開けていたら終わっていた。(名誉の為に補足しておくともちろん本当にそんな阿呆みたいな顔では聴いていないです)
なんていうんだろう。前はごちゃごちゃした強い感情を"与えられていた"のに、今回はぼんやりとした何かが私の全てを"攫っていった"って言うんだろうか。奪われたって感じでもない。ずっと、そんなにいらないです!ってくらいの感情を受け取って(殴りつけられて)いたから今回も身構えていたのに、全然予想外のところからやってきて困惑しているうちに持っていた感情抜き取られた感じ。あれ?ここにあったはずの感情が無いなぁみたいな。やっぱ伝わんねぇ〜!!
あっ、あれです。喪失感。色々わけわからんこと書き連ねたけどこれは喪失感というやつです。多分。大抵の感情には名前がついていて私はあまりそれを信用せずに使っているんですけど、喪失感ってすごくそのままな言葉ですね。喪して失う感覚。私は身近な人を喪したのなんて物心つくか否かの頃に祖父が亡くなったきりなので、本当のところでこの言葉を理解して使っているとはとても言えないけど。でもわかりやすいから使わせてもらおう。言葉は自由ゆえに不自由ですね。
違う、私は哲学を話したかったわけじゃないです。もうヨルシカの感想とか哲学に近い気がするけど。
まあ話を戻すと、喪失感です。聴き終わったあとぼんやりした頭で歌詞を撫で続けた。そのままもう一度聴く気にはなれなかったので、とりあえず小説を読むことにしました。
近頃本を読む時はクラシックを聴くことが多くて。有名なクラシックのピアノカバー50選的なアルバム(?)を流しながら文字をなぞる時間が私はとても好きです。亡き王女のためのパヴァーヌ、アラベスク第1番、亜麻色の髪の乙女などが好き。クラシックの知識ミリもないので、題名に引っ張られている部分はあるかもしれないです。かなり少女趣味なので。そういうわけで読んでいたらちょうど聴いていたクラシックの名前が出てきてびっくりした。おじさんと同じ曲聴いてる!と思った。あと、私は立川で生まれ育っているので南口のロータリーも袈裟を着て傘を被った一日中鈴を鳴らすだけの修行僧も身近すぎるくらい身近で震えた。小さな頃からあの人はどうやって食いつないでいるのかずっと不思議だったし、今もあの人は食べなくても生きていけるのかもしれないと冗談抜きで思っています。
ちなみに立川、南口歩いてる人間5人に1人はヤバい奴だし(北口はいうてそんなことない)、パチ屋と飲み屋ばっかだし、駅から徒歩10分もすれば畑だし、お世辞にも高潔で綺麗な街とは言えないので妙に今回の世界観には合っているなと思った。
で、小説の感想なんですけど、読みながら涙が目から落ちた(落ちたって表現が正しい、悲しかったわけでも感動したわけでもなかったから)だけで、彼らしいなぁで終わってしまった。さっき(曲を聴いて)感情が抜き取られたからかもしれないけど、文章の連ね方や言葉一つ一つが好きだなぁとじんわり思ったばかりで、この話によって何かが劇的に変わったかっていうとそういうわけでもなく。
でも、小説を踏まえたうえでもう一度曲を聴いたら関連性とか全然わかんないし全く考察もしてないのに心の落ちるべきところに落ちたというか、しっくりきた。ずっと好きです。
だめだ作曲者に告白し始めたらもう終わりだ。この感情は圧倒的に恋愛感情とは違うんですけど、じゃあなんだろう。信仰?共感?絶対そういうんじゃない、でもなんだかわからない。CDショップに並んだ彼のCD見てしゃがみこんでしまうような感情が確実におかしいのはわかってます。
いいや。考え始めたらキリがないので曲の感想書きます。前置きが長いんだな。

音楽泥棒の自白
カセットテープの音から始まるのが今回のアルバムを示していて、散らばった少し不気味な音からするりと月光ソナタになる辺り、どうやったらこんなこと思いつくんだろうともはや不思議に思いました。自白(独白)は今までもあったけど、それとはまたガラリと変わった音で、知らないヨルシカだ!と嬉しくなった。


昼鳶
イントロが本当に天才のそれ。この音聴いてアガらない人いないでしょ。私はうわぁ…って言っちゃった。尖ってる、尖ろうとして尖ってる音。尖って字でゲシュタルト崩壊起こしそうだな。
いらないものばかり歌うヨルシカが欲しいと手を伸ばすのが「夜の全部」「君の全部」って、随分大きく出ますよね。特に二個目。私の好きな小説に「愛してると独占欲はお手軽なセットになるらしい」的な文章(本当はもっと綺麗な文)があって、これもそういうことなのかなとぼんやり思いました。わからない、これは独占欲とかそういうものなんだろうか。もっと途方もない感情な気もする。
この曲は特に小説を読むと繋がりが見えて、なるほどとなる。もう一回小説読み返そうかな。


春ひさぎ
今まで夜という時間帯は散々曲に出てきていたけど、それは一種高潔な類の夜で、煌びやかで下卑た夜の街ではなかった気がします。私は歌舞伎町とかに妙な憧れのようなものを抱いていて、そういう場所に漂っている独特の空気感みたいなものが顕著に表れている曲だったように思う。投げやりで色々なものを諦めているのに、人としてのがめつさはしっかり残っているような。
いや、でも、この曲別にそういう性を匂わせたものではなくて、結局音楽を軸とした話をしているから高潔っちゃ高潔か。風俗の曲、に見せかけた音楽をつくることについての曲だったわけでしょう。とはいえ今までにはなかった”そういう匂い”
を漂わせた曲で新鮮でした。


爆弾魔
なぜここで再レコなのか。
なんかこの辺の考察的なものはツイートしてるので省略しちゃうんですけど、圧倒的に進化しててやっぱりすごいなと単純な感想しか浮かばなかったです。2番サビの音が好き。
街中で百日紅の花をみかける度に、胸が揺さぶられるのは多分この曲のせい。

辛くてもいい、苦しさも全部僕のものだ!
この歌詞に何度も何度も何度も助けられてきた。この曲をはじめて聞いた瞬間から今日この日まで、この一文を何度も思い返してやっと生きている。最悪なかたちの自己責任だけど、身勝手だけど、なにせそういう風にしか生きられない。全部寄越せ、辛さも痛みも嫉みも全部私ものだ。


レプリカント
さよなら以外全部塵!!!!!!!!
今回のアルバムで一番楽しみにしていた曲なんですけど、この歌詞見た瞬間に最高優勝!という気持ちになった。吹き出しちゃったもん。ここまでずーーーっとさようならについての歌を作ってきたからこその歌詞。
わかりますかみなさん、さよなら以外全部塵なんですよ、ってキャスとかでぼそぼそ呟いてるn-bunaさんが脳内再生余裕です。(もう数年nさんキャスなんてやってなくね?と気づいて泣きそうになった)

〜できればいいのにね、という言い回しは、できないとわかりきっているうえで笑いながら口にする時の言い回しだと思うので、当たり前だけど死なない世界はないし、愛は金じゃ買えない。悲しい世界だなぁ。全部がレプリカだったらどんなにいいか。

「それでも空は酷く青いんだから、それはきっと魔法だから」 って月を歩いている辺りの時にありそうな、ややファンタジーちっくな歌詞だけど、彼自身はその青さをまだ見てないというのが圧倒的に違うところだと思う。数年前(月を…の頃)だったら多分魔法みたいな青さを見るのは彼自身だったんじゃないかな。数年前は美しいものを見ることができる側の歌が多かったけど、いつの間にかそれを眺める側になっていたような。それがいいか否かは別として、大人になったんだろうな。


花人局
「さよならを置いて、僕に花もたせ」
この出だしの一行で誰かを喪した人の歌だなぁとわかる。その文章力に深い息が漏れました。この曲はメロディも勿論好きなんですけど、何より歌詞が本当に美しくて堪らない。
枕は花の匂い、窓際のラベンダー。単語の一つ一つがくすんだ桃色で色付けられている気がしました。仄暗く、やや埃っぽい部屋。薄らと埃を被っているのは女性ものの服や小物ばかりで、髭剃りや冷蔵庫には生活の色が見える。窓を開けると部屋の中とは打って変わって朗らかな春の風が吹き込んでくる。思わずポエ厶作れちゃうような情景がありありと浮かんできます。

なにより、優しい歌だった。ヨルシカの歌う優しい歌は”許す”ことが軸になっていることが多い気がして。全てを受け入れて飲み込んで前に進むからもういいよ、大丈夫だよ、みたいな。でも、この曲は全く受け入れてないし飲み込めてもない。ずっと待っている、あなたは帰ってくるはずだっていう、ともすれば狂気にも近い何かをこんな美しく仕立て上げるのは魔法か呪いか、何かそういう類いだろうな。

浮雲掴むような花人局(はなもたせ)
あなたの存在が浮雲のように思えてる時点でもう全て明白なのに曲の最後の最後までずっと「待っている」と繰り返すのが改めて空恐ろしく思えてきました。あと、「忘れないように花描け」という歌詞では『花と水飴…』を思い出した。誰かをかたちに残したい、忘れたくないから花を描くというのは随分美しい、ある種の弔い方なんだろうな。


盗作
地位も愛も全部無くなった後の空を想像して、それを少しでも早く見るために盗みをはたらく。ここでお笑い草だなぁと思ったのは、少なくとも今後数年そんな綺麗な空をn-bunaさんは見れないことですよね。何せヨルシカは顔出しをしていないというかプライベートな部分がコラムくらいでしか確認できないので(ちなみに私はコラムのこと生存確認って呼んでいます)いきなり不倫してました〜!とかすっぱ抜いたところで別段面白くないし、まあ人でも殺せば話は違ってくるけど、基本的に今回「作者と作品は別もの」って思想を植え付けられたので、地位はともかく愛を失うことはないと思います。
あとこれは動画がでた時にも呟いたんですけど、あまりにも私達(彼の言葉でいう烏合の衆)を意識しすぎているようで辛い。そんなこっち見ないでくれ。急に敵意を投げかけられても、ねぇ…?

美しいものが知りたい。私も常々知りたいと思っています。その切っ先が掴めると思ってn-bunaさんの音楽を聴き続けているのに、まさかの本人も知りたがってた。同じがあるのは基本的に嬉しいけど、この場合は手放しで喜べないなぁ。いつになったら知れるかな、どっちが先に知れるかな、一生知ることも無いまま死んでいくんだろうな。


思想犯
「さよならのあとの夕日が美しいって君だってわかるだろ」 散々"さよならのあとの夕日が美しい"歌を聴かされてきた私達に対する皮肉か?と穿った考えがよぎった。さよならのあとの夕日なんて見たこともないのに美しいことはわかっています。2番サビの「言葉の雨に打たれ」という歌詞が好きです。口ずさんだ時に綺麗な音がでます。
なんかこの曲聴くと苦しくて堪らなくなるので感想あんま書けん。

逃亡
今回のアルバムで一等好きです。
人の鼻歌を盗み聞きしている気分になるのは私だけですか。教室に入ろうとしたら中から綺麗な歌声が聴こえてきて、思わずその場でこっそり聴いているような感覚になる。
アウトロのピアノがもう本当に本当に好き、はっちゃんさん最高ですありがとうございます。

すごいなぁと思ったのは、温い夜という歌詞。これ一つで、昼間アスファルトに染み付いた太陽がほんのり滲む蒸し暑さと肌を撫でる風がさらりとした夏の夜、湿っぽい匂いまで全部思い起こせました。言葉の魔力を感じる。

「ねぇ、こんな生活はごめんだ」 ここの呟くような誰にきかせるつもりもないような声、その辺で死んでいる羽虫を見つけた後みたいな感情にさせられました。表現もう少しどうにかならないのかな私。気づきたくなんてなかったのにって苦い顔になるやつ。苦しいです。
さぁ、もっと遠くへ行こうよ。軽い言葉に乗せられてどこまでも逃げていきたい。手始めに学校サボって海にでも行きたい。小心者だからそんなことできないんですけど。なんにもできないまま大人になる。


幼年期、思い出の中
綺麗。ため息がでる美しさがある。肩の力が抜けて、目を瞑ってしまうような。心の柔らかで優しい部分に寄り添ってくれるように感じるのは、言葉がないからだろうな。言葉は強いから、時折どれだけ静かな曲でも言葉の強さに耐えられない時があります。そういう時に聴いたら今よりもっと染み込んでいくと思う。

夜行
夜になるのは大人になることの比喩。逃亡で大人になるまで歩いていこうと誘って二人歩いていたら、ふと先が見えなくて怖くなってしまう曲なのかな、なんて考えました。サビの言葉の流れ方が心地良くて、何度聴いても飽きないです。「君立つ夏原髪は靡くまま」 なんて聴いただけでぱっと情景が浮かんで、「夏が終わって往くんだね」 で今に引き戻される。夏が終わって夜が来たら、その後はどうしようか。
(すっごくどうでもいいんですけど、イヤホンで聴くとサビだけ音量大きすぎて毎回ビビる)

花に亡霊
もう忘れてしまったかな。
これは全てを受け入れて許している方の優しい歌。何年も彼の音楽を聴いているから、目にしたことのあるような言葉ばかりなのに、それでも美しいと泣けてきてしまう。ある種の呪いだろこれ。

「忘れないように、色褪せないように」
囁くような、優しい呪いですね。
『カーテンコール…』の頃からn-bunaさんのつくる歌は全部この歌詞が主軸になっていると思っています。君のことを絶対に忘れたくないのに日々記憶が薄れていくから、毎日毎日思い返そうとして苦しくなる。生活は苦しくなるばかりだし、もう君の声も顔もぼんやりとしてきてしまったのに、あの日見た君を永遠に覚えている。


ずっと、なんでこんな綺麗な言葉が紡げるんだろうと不思議でならなかった。延々と同じようなことを歌っているのに、なんで全てが美しいと思えるんだろう。
その解はもちろんわかってないし、多分一生わかることもないけど、”美しいもの”の切っ先を掴みたいのでこれからも曲を聴いたりTwitterで騒いだりなんなりします。よろしくお願いします。

もしここまで読んだ酔狂な方がいらっしゃいましたら、本当にお疲れ様でした。呪詛のような感想でごめんなさい。

三ツ矢くらげ

#ヨルシカ_盗作レビュー

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