妖精と出会った幼いころの話。
4歳くらいの時に妖精と出会った。
フルタイムで働く母の代わりに私を育ててくれたおばあちゃんは、畑仕事が好きだった。
おばあちゃんの家から少し離れた山あいの畑に、毎日のように行った。
子どもには遠すぎたが、歩くのに疲れると一輪車に乗せてくれたし、畑に行くのが楽しかったような記憶が残っている。
そして何より、おばあちゃんが大好きだった。
畑に着くとおばあちゃんはあまり遊んでくれない。
私は、草花で遊んだり虫を探したり、寝っ転がったり、飽きることなく畑で遊んでいたようだ。
ある日、トンボの羽のような透きとおった羽があるお人形のような生き物を見つけた。
羽があるけれど飛んではなく、私のほうを見ていたような…
怖くはなかったけれど、触る勇気はなかったような…
しばらくすると、居なくなった。
よくわからないけれど、さびしい気持ちの幼い私。
おばあちゃんに言いに行ったのか、行かなかったのか覚えていない。
誰にも言わなかったのかも知れない。
大人になって、いつだったか忘れたが、幼いころの畑の思い出から記憶がよみがえり・・・あれは「妖精」だったんだと。
誰かに話したかったけれど、「大きな虫と違う?」「小さい時だからね・・」「畑で寝てたんじゃない?」とか、言われそうで言えなかった。
特にスピリチュアルに関心が高いわけではないし、現実主義でもない。
不思議なことって、たびたびはないけれどあるように思う。
生きていることだって、不思議すぎる。
今なら、妖精の話を信じてくれそうな人に出会えそうな気がする。
もう一度、妖精に出会いたいと願う。
なんだか、出会えるような気がしてきた。
私がもっともっと歳を重ねた時、畑仕事か草花の世話ができるくらい元気なら、きっと妖精に出会えると思う。
いや、元気でなくても出会える。
そんな予感がする今年の秋。
人は、見たいものしか見ない
そして、見せたいものしか見せない
ちょっと観点が違うと思うが
幼いころの私は、妖精と出会いたかったから見えたのか?
でも、妖精と出会った自分は見せたくなかったのか?
あの時から、長い長い長い時間が過ぎて行った。
私はかなり変わっただろうけれど、全く変わっていないところもあるように思う。
妖精と出会った時の私、今もそのまま。
追記
私は、幼稚園から小学生になり、童話が大好きで家で本ばかり読んでいたそうだ。
妖精の記憶があったのかどうかはわからないが、妖精の挿絵が可愛い「ふしぎなお人形」という童話がお気に入りだった。
その本は、とても不思議な本であった。
同じページが2枚あって、同じ内容が繰り返されていた。つまり、落丁の反対の増丁・・・
今ならなんて事のない話であるが、7歳の私には、正にふしぎ…な、本。
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