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右肩上がりの時代は『海賊とよばれた男』でいいが、今は右肩下りの時代。何を希望に生きればいいのか。

映画『海賊とよばれた男』を見た。


百田直樹さんの本は『昔の日本すごい』
『右肩上がりの時代が良かった』と伝える作品が多い印象。

非常に重めの140分を過ごしたので、
また何かを書いてみよう。


右肩上がりの時代は『海賊とよばれた男』でいいが、今は右肩下りの時代。

映画の大体のあらすじはこういったものだ。

一九四五年八月十五日、敗戦で全てを失った日本で一人の男が立ち上がる。男の名は国岡鐡造。出勤簿もなく、定年もない、異端の石油会社「国岡商店」の店主だ。一代かけて築き上げた会社資産の殆どを失い、借金を負いつつも、店員の一人も馘首せず、再起を図る。石油を武器に世界との新たな戦いが始まる。


こういう映画を見ると、右肩上がりの時代はいいなぁと思う。


誤解を恐れずに言うと、全てを失ったということはこれから

作るもの全てに需要があるということ。


主人公は石油会社の店主。石炭の時代が終わり、石油の

時代が来る中での再起を図った戦いだった。


正直美しいと思った。


ネタバレになるが、途中敗戦後に現れたGHQ

(連合国軍が日本占領中に設置した総司令部)から

無理難題を吹っかけられる。


職員も一度は諦めるのだが、全てを飲んだ上での

店主の言葉に動かされて石油まみれになるシーンがある。


これは会社が家族同然だったことを表わしているし、

これをこなせば希望があると思えたからの働きだ。


あれほど熱意を持って行動ができるだろうかと

自問自答してしまった。


今は完全に右肩下がりの時代だ。


何かが劇的に変わるような時代ではない。


若者論はあちこちで語られているが、結局足りないのは

『希望』だと思う。


最近の私は希望は与えられるものではなく、自分で見出す

ものだなと確信している。誰もくれないモノだから。



これまたネタバレになるが、好きなシーンは

『店主自ら船に乗って、海上で石油を売る場面』だ。


どうして海賊と呼ばれたのかが分かる重要なシーン。


あれはゲリラ戦のやり方だ。


小規模で戦場外において、臨機応変に奇襲をしている

ように見えてしまった。


あれで主人公の会社は野蛮だと言われてしまうが、

野蛮であり強引だからこそ、あの時代を引っ張れたのだ。


また、店主自らが先頭に立つ場面が多く、

(映画だからというのは置いていても)人から

慕われる存在はやはり『自分も現場に立ち続ける』と

知れてよかった。


あれが指示するだけの人間だったら、会社を率いて

時には外部の人間すらも動かすことにはならなかっただろう。


普段は邦画の歴史モノは見ないのだが、良かった。


食らいついて見てしまった。



海賊と呼ばれても、怯まない強さが欲しいですねぇ。



福田光宏







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