家族への『ごめんなさい』と『自分を諦める』のどちらを選ぶか。
実家に帰ると普段とは違うことを考える。
この歳でちゃんと生きていないと、
家族へ謝りたくなる時とある。
何の『ごめんなさい』なのだろう。
先日から『期待』について書いていると、何故か反響が大きい。
多くの意見をもらえた。
『期待』は多くの人が興味あるテーマ
なのだ。
『期待を受けなければ楽しくないよ』
と何度も言われた。
以前にも書いたが、『期待を受けなければ楽しくない』ということは期待を原動力に生きているということになる。
私は最近は『全部自分で決めたい欲求』が強い。
自分が考えたことを、自分でやり遂げることだけが楽しいと思っている。
誰かの期待で楽しいなら、それでいいが
中には『期待がツライ人』もいるはずである。
期待してくれた人の顔色を穿ってしまう
いい人なんだろう。
しかし残念な話、只のいい人が価値を持たないようになっている。
悪い人は悪いけど、カッコいい。
悪いとは『自分の意思を誰かの意思より、大切にしている』ということ。
私はこうしたいんです。というと時折邪険な顔されるだろう。八方美人ではないのだから。
嫌われる勇気とはそういうことだろう。
家族へ『ごめんなさい』と言いそうにもなるが、それでも強い思いがあるんですとしか言いようがない。
『分かって欲しい』は傲慢である。
他人なんて分かるわけがないのだ。
いつも大切なのは、説得をしようとするのではなく、自分がやろうとしていることを続ける。である。
目の前の1人を気にかけている間に、
大切な99人を置き去りにしている。
追伸
母が東京に来ていて、先ほど帰った。母は母で違う人生を生き始めてご機嫌である。
福田光宏
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