「四月の魚」と冗談のような1986年
明けましておめでとうございます。
元旦、大林宣彦監督の「四月の魚」のDVDを見終わってこれを書いている。
「四月の魚」は封切りで観ている。wikiによると1986年5月公開。
つくられたのはその二年前らしい。という事は1984年か。
都内の映画館だろうが、どこで観たのかは忘れた。パンフレットは探せば部屋のどこかにあるだろう。
見ている間じゅう、内容の事よりも当時の出来事や空気が思い出されて仕方がなかった。正直、ワンカットも覚えていなかった。
製作のクレジットに主演の高橋幸宏氏の名前がある。
時代からするとYMOで巨万の富を得て、プロデューサーにそそのかされて映画に投資したのであろう。
YMOの時代。
そういえば江古田の学生一年生の私が原宿のカレー屋でバイトをしていたら、細野晴臣氏と坂本龍一氏が時間差で来店して、居合わせた客のカレーを掬うスプーンの手がずっと止まったままだった事があった。もう一人のバイトのコは坂本氏のタバコの吸い殻をティッシュに包んで持ち帰っていたな。
本編は大林監督の肩の力が抜けまくっている。ヒロインの今日かの子はなかなかキュートだが(あの頃モテた女性の典型)どういう事情かこの映画以外出演作が無い。女優よ、という気概は感じられない。
ヒットさせるぞ、そうでなければキネ旬ベストテン狙い、なんてヤマっ気は微塵もないユルさ。
カレー屋のバイトは1984年に16ミリで自主映画をつくり、翌年池袋の文芸坐ルピリエでそれを上映していたある日、音楽評論家の吉見佑子氏に連れられて当時の渡辺プロのK氏が観に来られた。
そして上映後K氏から「このフィルムを持って明後日ウチの会社に来てくれ」と言われた。吉見さんには「ひどい映画だ」と言われたが。
しかし、そこから始まる冗談のような日々。
渡辺プロとしては吉川晃司全盛の時代だ。K氏は直属のマネージャー。
連日「打ち合わせ後の飲み会」。
フレンチかイタリアン→クラブ2、3軒→〆に寿司。タクシーチケット貰って朝帰宅。
現代史的にはバブルと呼ばれる時代。
1986年のクリスマスは忘れもしない、東京タワーのメインデッキ貸し切りパーティ。
打ち合わせ、は映画の企画なのだが、一向に前には進まない。
が、誰もが焦っている訳でもなく、結論から言うと脚本は書いたが映画化はされなかった。
「四月の魚」の冒頭とラスト、主人公・高橋幸宏扮する映画監督が撮るCMの撮影現場に大林組初期の撮影監督・阪本善尚氏がそのままキャメラマンの役で出演している。
1987年、映画企画が頓挫し「いろいろあって」渡辺プロと縁が切れた私が、阪本善尚氏と組んで映画をつくったのは5年後の1992年のこと。
2022年元旦。「四月の魚」が陽気でユルかったあの時代を、記憶の底から呼び戻してくれた。
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