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AIに近づく人間?

「新のりピー」新井先生の大警告

新井紀子先生(国立情報学研究所)は、「東ロボくん」の生みの親で、AIの超・大家だ。夕方のNHK総合ラジオに出演されているのをたまたま聞いたら、声優さんばりの衝撃的にキュートなお声で、卒倒しそうになった。下のお名前も紀子だし、上のお名前は新井なので、ノリピーと言えば新井紀子、「新のりピー」と呼ばせていただくことに決めた。(って、ムチャクチャ失礼やな(*_*))

他にもいろんなことを話されていた気はするが、3点メモ。

・文章を始めから終わりまで読んでから意味を取るのでなく、(AIがやっているように!)キーワードだけを拾い読みして意味を当てようとする子どもが増えている。(→「AI読み」。速く読む方がよいとの風潮が、背景にあるらしい。)

・AIでできることばかりが注目されているが、人間は、はるかに少ない情報から学んで、過去の事例にない行動を起こせる。(AIにできるのは、過去例から最適なものを参照することだけ!)子どもにとっては、遊びも、学びの重要な一部。

・今は、便利になり過ぎ、食べたいと思ったらすぐに食べられる。そういう便利さは、知恵・工夫の発達を妨げる。AIになくて人間だけにあるのは、知恵・工夫。(無論、子どもの発育の上でも重要。)

以下は、感想。

ゆとりの反動なのか、小学校のカリキュラム、どんどんタイトになってるようだ。朝7時登校の子ども、17時前下校の子ども、それぞれ、結構見かける。(いつ寝てるのか、心配になる。)
その帰結が「AI読み」だとしたら?→何やってんだろうね、と思う。「詰め込みの弊害」もいいところ、じゃなかろうか。

大人の世界でも、いい会社は、「15%ルール」とかで、自発性・創意を損なわない工夫をしている。まして子どもには。遊ぶ時間も、睡眠時間も、多目にいると思う。(3割は、欲しい。)

ところが、日本の最近の教育改革は、(私見)
・大人のウォンツ(充足欲求)から出発する
・カリキュラムの上乗せや変更に寛容(実行した場合の負荷の重さを考えない)
・過去になされた変更/上乗せの積み上がり具合も考えない
・何か特異な事件が起こるとすぐに教師や学校を悪者にする
・電車/バス乗車時など、公の場での子どもの立ち居振舞いのしつけは、年々甘くなる(→しわ寄せは当然、学校にも及ぶ!)

大人の支持や、そういう大人の意を体する(体して威をふるいたい?)政治家センセイ方主導で進められていて、特に公立の義務教育学校などは、「問題処分場」化しているのでは、と、私は懸念する。

当地は夏休みの方が長いが、40日あった夏休みを10日短縮する動きが出てきている。カリキュラムがぎゅう詰めなのだろうと私は想像するが、他の大人からはそういう心配をあまり聞かず、不思議な気分。

自由裁量3割で、小学生の生活時間をざっくり試算してみる。

睡眠時間は8時間欲しい。登下校には、往復1時間かかるとする(小学校の設置最低基準が、全国一律で車片道一時間に緩められたが、緩すぎる気がする)。食事・入浴に3時間見る。残り12時間の7割で、学校に使える時間は8.4時間と出る。

朝8時に学校に着くように登校するとしたら?→16:30が、授業を終わらせるべきリミットの時間と思う。

でも、できれば、16時過ぎに終わらせるのが親切じゃなかろうか。
子どもたち、それから、塾やスポーツや音楽教室に通うのだ。

学校で教えることは根本的に大事なことだけに絞った上で、むしろそれを徹底する方が、子どもの心身のためは無論、知的発達のためにも、有益ということ。なんじゃあ、ないだろうか?

新のりピー大先生!
論理飛躍のトンデモ結論だったら、大変申し訳ありませんっ。(´・ω・`)

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