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八幡(やはた)の村野藤吾建築

(福岡ひびき信用金庫本店)

村野藤吾さん(建築家/故人)は、八幡の方らしい。市立図書館に建築作品の写真集があり、それを見てから好きになった。代表作は、大阪・心斎橋のそごうデパート。商業建築を多く手掛けられた方らしい。

八幡には、村野建築が3つ(*注)あった。八幡図書館がそのうちの1つだったのだが、老朽化していたらしく、建て替えられてしまった。残る1つが、福岡ひびき信用金庫本店(表紙の画像)。現役稼働しており、JR八幡駅前に偉容を保っている(とにかく、凛々しい)。街並み全体を、びしびし締めてる感じ。

(*注: 「村野建築が2つあった。~」と記しておりましたが、八幡市民会館(現存せず)を算入しておらず、誤りでした。ロンロ・ボナペティ様のご記事を拝見し気づきました。謹んで訂正いたしますと共に、ロンロ・ボナペティ様に感謝いたします。)

八幡駅周辺の一帯は第二次大戦中、空襲の標的になったため、焼野原になったようだ。黒崎・小倉の市街が空襲を免れたのと対照的(小倉は、8月9日の原爆の第一目標で、わざと温存された由)。
戦後に再建された街。だからか、オブジェとかロータリーとか、都市計画を感じさせるモノが多い。嫌みを言っているのではなく、ポピュラーな市街との対照・落差に、私個人は、やや粛然とさせられるのだ。なんせ1901・東洋初の溶鉱炉を擁する街の中心が、八幡なのだ。

製鉄の本事務所は世界遺産に列せられたが、松下村塾を含む構成資産23の中の1資産との位置づけには、釈然としないものも感ずる(現在は戸畑区に移転)。製鉄なくして北九州なし。だし、その「芯」が1901=東田高炉なこと、その唯一無二の存在感は、北九州民は誰しも意識してきたことだろうと想像する(言わないだけで)。

村野建築の話からえらく脱線してしまいましたが、1つ、重要な発見があった。
この方、八幡の方であることは間違いないのだが、お生まれは、佐賀県の唐津(東京駅を手掛けた辰野金吾の生地)!

日本建築史における唐津の聖地ぶりを痛感した、村野建築ウォッチング(??)でした。

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