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思い出の止まり木~京王3000系(上毛700型)~

2011年まで都内で走っていた電車が、今では各地に散らばっている。

そいつは、井の頭線で活躍していた3000系。

学生時代の思い出。

陰キャだった私は、大学で陽キャまでは行かなくとも、脱陰キャしたいと思っていた。

入学してすぐのサークルの新歓のシーズン、男子も女子も集まってくるサークルといえば、テニサーである。

中学時代、高校時代と野球部の練習をサボってテニススクールに通ったり、テニスコートを貸し切り、仲間とテニスに明け暮れた自分からしたら、馴染むのは余裕だろうと思っていた。

しかし、そんなことは無かった。

大学のテニサーは、言い換えるならば飲みサー(ちゃんとテニス同好会みたいなところもあるけどね)。

俺が行ったところなんて、テニスなんてオマケで、集まって飲んで、ウェイウェイ騒ぐだけのサークルだった。

そんなことも知らずに、先輩から酒を進められる。

18だった俺は「あ、大丈夫っす。飲めないんで」と断った。

そこから、飲み会が終わるまでの時間、誰からも話しかけられることもなく、土間土間の壁紙に成りすました。

まぁ、未成年飲酒はいけないのは大前提としても、ちょっと悪めの高校生は酒飲んでたりしてたわけで、断るにしても、もっと良い断り方があったはず。

何でも否定から入る、陰キャ特有の悪い癖を見抜かれたんだなと思いながら、どこか寂しい気持ちを抱えて明大前のホームで電車を待っている時に入線してきたのが、この3000系。

垢抜けた最新の電車があちこちを走ってる都内で、どことなく古くささや田舎っぽさを感じた。

なんとなく、上京したのに垢抜けて無い自分に重なった。

慰めはそれで十分だったのだ。

20歳になり、堂々と酒が飲めるようになった。

周りの会話は「〇杯飲んだ」とか「甘い酒はジュースだ」など、酒が強い=すごいという構図が出来上がっていた。

俺は酒が弱い。酒の話でマウントを取るには、オシャレなバーとか、隠れ家的な行きつけの店を作ることだと思った。

オシャレで憧れの街。吉祥寺で探すことにした。

意気揚々と降り立つ俺。とりあえず、歩く。

外観がオシャレなバーを見つける。

しかし、入れない。

「値段が高かったらどうしよう?」「常連しかいなくて馴染めなかったらどうしよう?」様々な思いが頭を駆け巡る。

結局、チェーン店の松屋で牛丼を食べ、腹を満たしてから、脱兎のごとく帰った。

吉祥寺駅のホームで3000系の姿を見た時に、どことなく安心した。

あれから15年近くが経つ。

私は、東京から離れたところで働いている。都会の雰囲気に馴染めなかったらだ。

でも、都会から離れたのは俺だけじゃない。
前橋でひさしぶりに再会した。
東京での苦い思い出の中で、最後に助けてくれた3000系。

都会よりも、こっちでおじいちゃんおばあちゃんを乗せて、ゆっくり走ってる方が似合ってるよ。


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