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バルカン旅行『旧オスマン帝国版図を巡る旅』(前編)

🔵バルカン半島を旅する理由

長年トルコを専門としてきた者として、かつて数百年間トルコの支配下にあったバルカン地域に今でもトルコの面影が残っているんだろうか、そのことを自分の目で実際に見てきたかったのです。それで、行く先々で『トルコ的なもの』を探し歩いてきました。

オスマン帝国が支配した地域を旅したい

トルコをやっていてずっと気になっていたことがあります。トルコは昔とても大きな帝国でした。近世以降、ヨーロッパは常に『オスマン帝国』『オットマン帝国(Ottoman Empire) 』などと呼ばれていたテュルク系(後のトルコ人)多民族帝国の脅威に晒されていたのです。

地中海地域で商売をしようと思ったら、「オスマン語(昔のトルコ語)を学ぶしかないよね」という時代が数百年も続きました。その大帝国は往時、現在のバルカン半島の大半を支配していたのです。

40年ぶりのバルカン再訪

100年くらい前になると、オスマン帝国も没落の時を迎え、バルカン半島の大半は独立しました。でも、500年近くもトルコの影響下にあった地域なのだから、今でも少しはトルコの面影が残っているだろうなと考えたわけです。

1978年に初めて旅して以来40年以上も訪れることのなかったバルカンの地を自分の目で見てみたいという気持ちが強くなり、4週間の旅行計画を立ててみたのです。

トルコから目と鼻の先にあるバルカン諸国

そして2019年6月、私がデュアルライフの拠点としているイスタンブールから、マケドニアの首都スコピへに飛び、私の4週間のバルカン旅行が始まりました。

今回の旅行で訪れた国は、旧ユーゴスラビアが解体した後に生まれた6つの国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア)の内、最北端にあるスロベニアを除く5カ国とアルバニアの合わせて6カ国です。

広大な世界を旅するには1000年必要だ

旅をして良かったことは、なんといっても、最後の訪問地、セルビアの首都ベオグラードでの気づきでした。「4週間かけて回ったというのに、旧ユーゴスラビアの南半分とアルバニアの一部をなんとか見れたに過ぎないなんて、世界ってなんて広いんだろう。この調子だと、世界全体を見るには千年はかかるだろうなあ。」という世界再発見だったのです。

残された人生の時間に一番やりたいこと

私の人生に残された時間はあと20年くらいでしょうか。老化を別にすれば、年の半分近くを旅に費やしたとしても最大10年しか旅行できません。1000分の10、つまり世界の1%しか見られないと思ったわけです。

それで、これからは適当に旅行をするのではなく、しっかり計画を立て、自分が最も興味のある地域・国々から順を追って旅をしていきたい、バルカン旅行で、そう心に誓ったのでした。

🇲🇰北マケドニア旅行

Istanbul空港から飛行機でわずか90分、首都スコピエに到着しました。バルカン地方の自然は豊かで、オスマン帝国が、今のトルコがあるアナトリアではなく、その西側にあるバルカンに重心をおこうとした理由が分かるような気がしました。

トルコ語は通じません

トルコから近いこともあって、北マケドニアには大勢のトルコ人観光客が来ていました。トルコ料理に似た食事を提供する地元レストランも多く、マケドニア人もトルコ人に似ているのにトルコ語は通じません。マケドニア語はトルコ語とは異なる系統の言語だからです。

トルコ人にとっては不思議な空間

私が見かけた人達の中には、通じないことを承知で現地の人に果敢にトルコ語を話しかけるトルコ人もいました。通じるはずはないのに、トルコの面影が残っているのだからトルコ語だって分かるはずだと勘違いしているのかなあと興味深く観察していました。

トルコ企業のバルカン進出

数日旅しただけで、地域経済大国であるトルコの影響力がこの国でも強まりつつあることが実感できました。

Istanbul出発前にDEIK(トルコ対外経済関係協会)の会長と面談し、同協会のバルカン諸国代表を紹介してもらったのですが、スコピエで会った北マケドニアの代表(下の写真)は、同国でいくつもの病院を設立・経営し(内部を視察しました)、トルコ企業のバルカン進出の可能性について熱く語ってくれました。

世界遺産の景勝地 オフリッド

この国で最後に訪れたオフリッド(世界遺産)は美しいところで、周囲も風光明媚な山々に囲まれているのに、トレッキング(数時間歩いてきました)ルートの整備もできていませんでした。『宝の持ち腐れ』とはこのことですね。

個人で観光案内所を経営していた11ヶ国語を話す人(下の写真)にトレッキングした印象を話すと「その通りだ。フィードバックしてくれてありがとう!」と感謝されました。オフリッドは再訪したい景勝地の一つです。

自国の将来を悲観する若者たち

一方、旧ユーゴスラビアの構成国の中では国の近代化に相当遅れが生じており、若者の中には自国の将来に悲観的な見方も広がっています。「この国に将来はない。早くヨーロッパに移住したい。」と言う若者にも会いました。EU加盟が実現すれば北マケドニアの若者の多くが国を後にするかもしれません。

先進的なヨーロッパから遠く離れたバルカン諸国

私は、北マケドニアという国は先進的なヨーロッパから遠く離れており、トルコの関心もまだ十分でないだけで、だからこそ、戦略的に資本とノウハウを投入すれば十分に勝てる市場だと思いました。トルコにある普通のサービスがこの国には流通していないからですが、ある意味で、普通のトルコ企業が進出するだけで成功できるとの印象を持ちました。

数十年前のトルコと同じだ

オフリッドを後にして、このバスで隣国Albaniaに移動します。国内交通のレベルは数十年前のトルコと同じです。当時、トルコが今のように発展することを予見した人はいなかったはずです。北マケドニアの将来も楽しみですね❣️

🇦🇱アルバニア旅行

アドリア海に面し、海の向こうにはイタリア、南にはギリシャと、地中海の観光大国に挟まれた国ですが、経済発展も観光地化も遅れています。それだけに物価も安く、旅行には非常にエキサイティングな国だと思いました。再訪したい国の一つです。

安くて快適なアルバニア旅行

当時、1 アルバニア・レク=1円でお金の計算が楽でした。こんなことも一人旅には重要ですね。Booking.comで10点中10点満点だった宿泊施設が、二泊で6,500円だったなど、安いのに快適でした(写真は泊まった部屋からの景色)。

夢想から目覚めた国

アルバニア全土には75万基のコンクリート製のトーチカ(バンカー)が点在していると言われ、一基あたり3名入れるようになっています。戦時には国民全員がトーチカに入って国土防衛にあたるという壮大な夢想計画があったのです(写真、背景はイオニア海)。

何事もそうなのかもしれませんが、過ぎ去ってみれば「嘘のような話」が、その時代には当然のこととして罷り通っていたのでしょう。

オスマン帝国の支配を受けなかった『コルフ島』

アルバニアの南端にあるサランダからギリシャ領のコルフ島(旧市街は世界遺産に登録)に日帰りで行ってきました。この島は、ギリシャ語を話すバルカン地域で唯一オスマン帝国の支配を受けなかったユニークな歴史を持っています。

予想通り、トルコの面影は全くありませんでした。下の写真はコルフ島からの景色。遠方に見えるアルバニアまではフェリーで90分、高速艇なら30分で行けます。

モダンな市街地 イスタンブールへの憧れ

アルバニアの首都ティラナはモダンな街でした。特に若者が多く集まるカフェなど、一瞬Istanbulにあるカフェと見間違うような錯覚を覚えたほどです。

実際、アルバニア人のトルコに対する見方には、憧れに近いものが感じられ、「時には旅行でIstanbulに行ってみたい!」と言う人にも会いました。

(後編)モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアに続く。

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