noteを続けるのが困難な理由
こんにちは、甘野充です。
noteを続けるのは難しい。
多くの人がやめてゆき、馴染みの人を増やしても、いつしかいなくなってしまう。
そんな寂しさがnoteにはある。
それはどうして難しいのか?
僕が思うのは、noteは基本的に長文だからだ。
Twitterは思いついたことを思いついたままにつぶやく。
だから投稿も簡単だし読むのも簡単。
だけどもnoteはしっかりとテーマを決めて書かなければならない。
文章がちゃんと書ける人にしかできない。
そして書くのには時間がかかる。
そう、noteは時間に余裕のある人にしかできないのだ。
書くのも読むのも時間がかかる上に、問題なのはその内容だ。
短文であれば内容はシンプルで多くの人に共感を呼ぶことができる。
だけども長文になるとボロが出る。
というか、読者との間にずれが生じる。
読む人は読みながら、これはちょっと違うな、あんまり興味がないな、などと思ってしまう。つまり減点法なのだ。読めば読むほど減点される。
だから大体は面白いと思っても、そのちょっとの違和感のせいで、スキをできなかったりするのだ。
スキがたくさんもらえないとモチベーションが下がる。モチベーションが下がるとやる気がなくなってやめてしまう。
そうしてだんだんと疲れてゆく。
noteは内容があるがゆえにフォローやスキがもらいにくいのだ。
だから内容がシンプルで短いほうがウケがいい。
短文にしたり、つぶやきをしたり。
でもそれってnoteじゃないよね。
noteでやる意味って、自分の思っていることをちゃんと伝えたいからなんだよね。
よっぽど文章がうまくて、よっぽどたくさんの人に共感が持たれることを書ける人じゃないと、フォローもスキももらえない。
一生懸命に書いて、素晴らしくクリエイティブなことを書いても伝わらない。
それがnoteなんです。
そりゃあ続かないよね。
ばかばかしくなっちゃうよね。
そんな逆境にめげずにひたすらがんばる強靭な精神力を持っているか、そんなもんだと割り切ってうまいこと付き合ってゆくか、それしかないです。
時間に余裕がない人はやめてゆき、時間に余裕のある人は続けてゆく。
noteにはスピード感がない。
じっくりゆっくり。
心の余裕と時間の余裕。
そんなことを思いながら、今日もnoteを書く。
今日はそんな感じです。
それではまた。
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