「子どもの脳を傷つける親たち」友田明美 NHK出版新書
今回初めて知った言葉がある。「マルトリートメント」。和訳すると、「不適切な養育」という意味である。一般に虐待というと、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの4つを指して言う。だが、一目では虐待とはされないような、いわゆる家庭内で習慣化し日常的に行われる「しつけ」も、子にとってはマルトリートメントである可能性がある。
虐待という言葉は強烈であり、場合によってはその本質を見失う恐れがあるため、小児精神科の世界ではこうした言い換えが行われているそうだ。
語弊を恐れずに言えば、マルトリートメントが存在しない家庭はないといえる。完璧な親などいないからだ。だがマルトリートメントが強度を増す時に、成長過程である子どもの脳は大きく変容してしまうことを忘れてはならない。従来の研究では、非行や学習意欲の低下、うつ病、摂食障害、統合失調症などは生得的なものであるとされてきた。だが、その多くがマルトリートメントとの関連性が脳科学の研究によって指摘されている。社会に適応しづらい子どもが生まれる背景には、こうした問題があることを友田は明らかにしていく。
心理学の分野では近年まで児童虐待の被害者は、社会心理的発達が抑制された結果として、自己敗北感を成人後も抱きやすく精神疾患を抱えてしまうものだと考えられてきた。トラウマがあるせいで、精神的に十分な発達を遂げることができないというわけだ。
だが、脳の画像診断法を元にした研究では児童虐待は発展途上にある脳の機能や神経構造に永続的なダメージを与えることが明らかになったのである。マルトリートメントは脳の成長を止める可能性もあるのだ。トラウマはその結果としてあるわけだ。
マルトリートメントに関わらず、ストレスの影響を受けやすい場所として「海馬」「扁桃体」「前頭葉」が注目されている。海馬は記憶を作り上げ、保管する。扁桃体は情動を司る器官である。前頭葉は大脳の前に位置し、特に前頭前野は学習や記憶に関わる器官である。また海馬や扁桃体をコントロールするという重要な役割を担っている。また、これらの器官は子どもの脳においてもダメージを受けやすいと言われている。
脳科学の研究によると、虐待及びマルトリートメントを受けた子のグループと、そうでないグループの脳を比較した結果、前頭前野のうち行動抑制力に関わる部分の容積が平均で19パーセント、背外側部の容積も平均14パーセント小さくなっていることが分かったのだ。さらに集中力、意思決定、共感などに関係する右前帯状回も約17パーセント減少していた。これらの部分が損なわれると気分障害や非行につながることもわかっている。またマルトリートメントが最も脳に大きく影響するのは6〜8歳ごろの体験だとも言われている。
さらに性的虐待を受けた女子学生とそうでない女子学生のグループを比較した結果、顔の認知に関わる紡錘状回が平均して18パーセント小さくなっていた。
こうした脳の萎縮や機能の制限は、マルトリートメントへの防衛反応だと考えられている。虐待に適応しようと体が反応しているのだ。また脳に最も影響を与えるのは言葉の暴力(心理的虐待)と面前DVであることもわかっている。
虐待というと、よく加害者である親が批判される。だが、当事者である親自身が苛烈な虐待を経験していたという事例は多い。友田もこの点を指摘する。被害者が加害者となっている事例は意外と多いのだ。よって、医療的な支援は子だけでなくその親をも含めて行われることが理想的なのである。
個人的に気になったのは友田が複数あげるケーススタディ(事例)における家庭内の父親の存在感の希薄さだ。複数の異なる事例が挙げられているにも関わらず、父親の存在の仕方はあまり多様でない。仕事に没頭し、家庭のことは顧みず妻に任せきり……こうしたケースがとても目に付いた。機能不全の家庭は、決して母親のみに責任があるのではない。父親の無関心と存在の希薄さは、母親の育児に関する負担感を増加させ孤立感を深めていく。そうした過程でマルトリートメントは無意識のうちに量産されていくこともあるのではないか。
マルトリートメントの本質的な問題は、人と人との関わり方だ。それが親と子であるなら、なおさら切実な問題となる。だがさらに複雑なのは加害者である親自身も、なんらかの傷を負っているという事実である。友田は、迅速で包括的な専門的支援の必要性を指摘する。医療機関だけでなく、保育所や学校、カウンセラーなども含めた様々な人との関わりが重要になる。
社会の中で生きづらい人々が生まれるのは、翻って社会構造そのものに脆弱さがあるのだ。人が個人と個人とに細分化し、子を持ってさえも親になりきれず無関心なままでいる。そうした事実を抱えた社会そのものがすでに病んでいるのである。
マルトリートメントはあくまでその一端なのではないか。だがそれに苦しむのは最も弱い子どもたちである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?