「ナショナルジオグラフィック日本版 2020年1月号」
今月号のナショナルジオグラフィックに面白い特集を見つけた。
デビッド・グッテンフェルダーの「薬物の魔の手に」と、ゾアンヌ・クラックの「女性たちの健康はなぜ後回しにされる?」だ。
グッテンフェルダーの特集は、オピオイド系鎮痛剤の依存者たちをフィラデルフィアで取材したものだ。いわゆる薬物依存者たちを追ったものだが、彼らのあまりに悲惨な日常にグッテンフェルダー自身も「腰が引けた」という。フィラデルフィアでは薬物の過剰摂取で2018年には1116人が亡くなっている。その8割がオピオイド系だという。フィラデルフィアのケンジントン通りでは路上生活者が何百人もおり、その多くは痩せこけて無数の注射痕を持つ。薬が切れると腕や踝、首など所構わず注射針を刺す。そこで出会った33歳の男性はヒゲが特徴的で、親切だが薬物の混合に使われたボトルの蓋がないかをいつも探し回っている。蓋に残った薬物のカスをかき集めて注射するためだ。
だがこの男性は、初めから薬物中毒であったわけではない。2005年に交通事故に遭い、何ヶ月ものリハビリの末、オピオイド系鎮痛剤を処方されて退院した。だがかかりつけ医が亡くなると、新しい医師はオピオイドの処方を拒否する。男性はやむなく密売人から手に入れようとするが、2回分のパーコセットは約1100円。より強力なヘロインはその半値の約550円だった。男性は「俺はそっちを選んじまったんだ」と言う。
グッテンフェルダーは、取材を進めるうちに薬物依存者は「普通の人たち」と変わらないという。彼らは慢性疾患に耐えるため、あるいは事故の後遺症から立ち直ろうとしただけで、私たちとなんら変わりがないのだ。だから、ケンジントン通りで路上生活をする人の多くは「自分がこんな風になるとは思っていなかった」。
ゾアンヌ・クラックの「女性たちの原稿はなぜ後回しにされる?」も興味深い。クラックは、人気医療ドラマ「グレイズ・アナトミー」の脚本も務める女性救急医だ。
彼女は、現在の医療制度、治療法や研究、支援は人口の半数を占める女性たちにとってあまりにも穴だらけであると指摘する。ただ、楽観的に考えればこの現実は新たな発見がまだまだあるということだ。そのために、クラックは女性自身がもっと積極的に声を上げることが何より大切であるという。
医学界では、治療だけでなく研究の分野も男性が中心で女性に対する知見が少なかった。医薬品に対する男女別に分析することすら行われていたなかった。長らく、医薬品の研究において「男性」が基準とされ、新薬の効果も男性だけ調べれば十分とされてきた。しかも妊娠出産が可能な年代の女性は「安全面の理由」で、それ以外の女性もホルモンの男女差を関連要因から排除するために対象から外された。
男女の生物学的な相違や医療効果の差まで把握するためには、女性のみを対象にした研究が必要とされる。女性は男性よりも慢性疾患を抱える人が多い。さらに、女性向けとうたっている医薬品が、かえって女性の害になっていることもある。
また医療現場での男女差も見られている。「ヨーロピアン・ジャーナル」によれば、公共の場で女性が心停止に陥ると、蘇生術を施してもらう可能性が男性よりも低くなる。一方で男性が病院に運ばれて退院できる確率は女性の2倍に上る。女性が倒れても周囲がそれは心停止の状態だと気付かず適切な蘇生術を行わないためと考えられている。
ほかに数十年前からの研究で、痛みに対する治療をきちんと受けられる女性は男性よりも少ない。冠動脈バイパス手術後3日間の鎮痛剤を投与される状況を比較すると男性は女性の2倍も投与されている。緊急外来で20ヶ月調査した結果では、急性胸痛を訴えても入院できなかった割合は女性の方が高く、再診時にもストレステストを受けられないことも多かった。女性救急医による調査では、急性胸痛を訴える患者が鎮痛剤を投与されるまでの時間は、男性が平均49分であるのに対し、女性は平均65分だった。
睡眠導入剤のゾルピデムの女性の推奨容量は従来の半量で良いと米医薬品局が発表したのは発売から20年も経ってからだった。女性の薬物による副作用のリスクは男性の1.5〜1.7倍という研究結果もある。
また65歳以上のアルツハイマー病の3分の2は女性だ。女性は言語機能が男性よりも発達しているため、初期の認知テストでは症状が発見されにくい。病状が進んでから発見されることもある。またこうしたアルツハイマー患者を介護する無償の介護者は全米で1600万人以上おり、その約6割を女性が占めるとされる。
このように、女性にとって医療現場や社会は歪な構造をしている。それらが女性にとって重大な健康リスクをもたらしていることについても、長らく研究や分析が行われないままであった。だが、2015年に国連は2030年までに世界の全ての子どもと成人男女が基本的な医療を受けられるようにする、との目標を掲げた。目標の達成は容易ではないだろう。
だが肝要なのは、諦めないことだ。医療を取り巻くこうした男女格差は、女性だけでなく「基準」とされてきた男性にとってもリスクである。性別によらず適切な医療を受けられることは、重要な社会資源であり、その下で人が社会に復帰できる制度が社会にあれば人的資源はより一層長くその社会や集団の中で活躍できる。特に女性は、妊娠出産を経て閉経を迎えても男性より長く生きることが分かっている。通常生物は、閉経とともに寿命が来るとされるがヒトだけがこうした定説を覆し長命を保っている。これは、社会や集団の中で自らの経験を次世代に伝え継承させていく役割を持っているからだともいわれている。人間に固有の高度な社会や文化が存在するのは、こうした女性特有の役割によるところが大きい。
より公平な医療の実現は、社会全体にとって有益なことなのである。
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