企業における心理療法、ストレスについて
退職理由のトップは、業界職種を問わず「人間関係」である。
最近言われたことだけれど、「人は個人個人ではそんなに悪い人はいないんだろうけど、組織になるとおかしくなるんだよね」という言葉がある。私もそれは頷ける。集団になった途端に、人はまともな人とそうでない人に分かれてしまう。
で、往々にして「まともでない人」の方が長く残り管理職になっていく。まともな人は早々に潰されて消えていく。私は若さのせいか、こうしたまともでない人たちの存在を心底くだらないと思う。目の前の仕事を、出世の手段という次元でしか実践できない人間は大体が「まともでない」。私の仕事が、客観的に評価をしづらい職種であるが故に、その恣意性は高まる。はっきり言って、私は今の自分とその環境についてかなり不満を抱いている。それが社会だよ、と諭されてもそんな風に飼い馴らされている方にも腹が立って仕方がない。
真に考えなければならないことなど、この世界にはそう多くない。人は目に見えるものや、生活にしか所詮興味を抱き続けられないのだな、とつくづく思う。だがそのために誰かを蹴落とし、潰すことはどう考えても「まともじゃない」と思うのだ。
「ピーターの法則」という本があって、まだ未読なのだけれどその中にこんな言葉があるそうだ。
「人は昇進すればするほど、無能になる。出世のために働くようになり、上に上がれば上がるほど自分自身から遠ざかり、無能になっていくからだ」
これを読んで、なぜ明らかに不適格なのに管理職についている人間がいるのか不思議だったけれど納得できた気がした。
話が逸れたので戻すが、企業社会で働くことはストレスとの付き合い方が必須になる。そこで、産業組織心理学はビジネスパーソンには必須の教養であると思う。
私たちは多くのストレスに晒されているが、働くことへのストレスはその中でもとりわけ深刻なものだ。その構造について知ることは、ひいては自分自身のメンタルヘルスを知り、守ることにもつながる。
企業社会におけるストレス要因は2つに分けることができる。
1.基礎的ストレス要因
2.流動的ストレス要因
以上がそれである。
まず基礎的ストレス要因についてまとめると、大きく以下がそれにあたる。
基礎的ストレス要因とは、企業や組織の構造化によってもたらされるものである。これは必然的に社員にとってストレス要因となるものである。具体的にあげれば職場異動や配置転換、職位やヒエラルキーの問題などだ。また新入社員の社内適応をめぐる期待と幻滅、中高年社員の定年問題などもこれにあたる。これらは会社員であれば必然的に要請される組織への適応に伴って発生するストレスであり、どの業界職種においても見られるものである。
基礎的ストレス要因は、個人的な問題が絡んでいない場合は比較的解決しやすいものであると指摘されている。それはストレス要因そのものが組織構造に根ざしたものであるため、解決の枠組みが組織の中に集積されているからである。
これに対し、第2の流動的ストレスは組織の中に新たに導入された形で発生するものである。具体的には、社会構造の変化や業界の再編などにより企業の経営方針、職場環境の変更などによってもたらされるものである。例えば社会情勢の変化に伴う勤務形態の変更への不適応やテクノストレス、人員整理をめぐるうつ反応や睡眠障害などがこれにあたる。
また退職せずに残った職員の労働過重、適合性を欠いた職場配置、勤労意欲の減退、身体愁訴による出社拒否などは、困難な課題である。これらは基礎的ストレス要因のような、経験の中から折り合いを見つけだすことが困難であるからだ。こうした流動的ストレス要因への対処は現場の管理者に任されることが多く、個人的なマネージメント能力に頼らざるを得ない。ゆえに場当たり的な対応になることも多く、また基礎的ストレス要因のように公平性、恒常性、連続性を持って当該社員へ対応することも難しい面もある。
流動的ストレスは、問題の対処に関して企業組織として十分に練り上げられておらず、責任性の曖昧さ、支援体制の未確立、人間関係の未構造の問題が露呈される。こうした側面はリスク要因が形成されやすく、不安、喪失、幻滅、うつ状態など情緒的なストレス反応を示しやすくなる。
現代において大きく問題となっているのは後者の流動的ストレス要因であろう。私自身も流動的ストレス要因が自分の中でかなりの比重を占めている。
具体的にあげるなら、指示と管理の不明確さと不徹底、不適格な人材の管理職登用、責任性の曖昧さ、慢性的なコミュニケーション不足と機会の提供不足がこれにあたる。
やはり組織内の人間関係に根ざしたものが多く、根本的には基礎的信頼関係が築けていない点とコミュニケーション不足がその本質であると思う。これはどの組織でも起こりうるものだろうが、これによってメンタルヘルスを損なう人が多くいるのも事実である。
「まともでない」人はどこにでもいるし、企業社会においてそれは珍しいことではない。だがそうした人が自分の上司であればどうだろう。またそうした「まともでない」感覚を内面化した企業組織であったらどうだろう。
考えるだにゾッとするが、私の働いている環境はこれに極めて近い。
嫌なら辞めればいい、というのは簡単で私もその通りだと思う。詳しくは書けないけれど、今すぐ辞めることはどうしてもできない。
であるならば、自分自身のメンタルヘルスを守るためには企業社会のストレスそれへの客観的かつ構造的な理解をすることがまず肝要である。
ストレスとは厄介なもので、これが無くなると人間は死んでしまうとも言われている。適度なストレスは人生への刺激と生きがいを増してくれるものだが、現代社会はあまりにも過重なストレスを私たちに与えてくる。その構造のほとんどが人間(他者)との関係に根ざしたものであり、生きている限りこれはなくならない。私は人を相手にする仕事をしていながら、恐らく根本的には人がそれほど好きではない。社会そのものへも厭世的で悲観的である。そうした自分が剥き出しのまま晒されていた10代は、社会や人間関係に適合するのにとても苦労した。だがあの頃の自分は未だ私自身の中にいて、無くなることはない。今は社会的オブラートで自分を包み、それなりなやっていこうとしている。そうした点では、私も社会に飼い馴らされているといえるけれど、どうにも我慢のならないことも多くある。
だがともかく、私はできるだけ知的に世界を捉え、そこでの自分自身の抱えるものへの客観的な眼差しを忘れたくないものである。
参考:「臨床心理学」第4巻第1号「職場における心理臨床」より 「社会状況と職場の心理臨床」
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