「夜這いの民俗学 夜這いの性愛論」赤松啓介 ちくま学芸文庫


民俗学の父といえば、真っ先に柳田國男の名前が上がる。私も学生時代に読んだ「遠野物語」は忘れることのできない読書体験の一つだ。それは日本という国、そしてそこに住まう日本人としての微細な生活や信仰が生活の中で活き活きと描かれていた。だがそれは同時にどこか不気味で、現代の日本ではとっくに忘れられた、無くなってしまった人々のありようが垣間見えもしたのだ。それは、視覚的に言うならば「手元すら見えない漆黒の闇」とでもいうような、現代の私とは隔絶された「日本」の姿である。
さて、今回取り上げる赤松啓介は日本の民俗学の正道を拓いた柳田に対し、アンダーグラウンドを丹念にあらためた民俗学者である。彼の「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」は、そのまま戦前、赤松の言葉を借りれば教育勅語的社会前の日本の地域社会の民俗を取り上げている。少年たちの元服がそこでは赤松自身の経験を通して語られる。これは、民俗学の専門書というよりも、半分は私的な語りであり一方では性ややくざというものを取り上げなかった柳田に対する痛烈な批判の裏返しでもある。


日本では江戸時代から、大正くらいまで「夜這い」は田舎では一般的に行われたことであった。男性は11.12歳ころ、平均して13歳までには成人の「通過儀礼」を経験したようだ。つまり、女を知る(現代風にいえば脱童貞)ということだ。その相手は既婚の女性や未亡人、時としては少年よりもやや年長(それでも未成年の)少女たちが務めた。驚くことは、夫もいる既婚の女性たちもその相手を当然のようにしたことだ。そして、彼女たちの夫もそれを当たり前のこととして受け入れていた。時には父親の分からない子どももできたようだが、問題にもならず大らかに受け入れられていたようだ。
赤松は、ある田舎で「この子は俺に全然似てない」と自分の子どもを膝に乗せて言う父親の話を載せているが、そこに悲壮な色は一切ない。他にも女同士や男同士が集まって、夜這いの話をする場面がいくつか出てくる。女は女陰、男は魔羅という身もふたもない言葉も出てくるが、この時代にあって性というものはこれほど大らかに、そしてパブリックなものであったのかと、どこかほのぼのとさせるのが赤松の語りの特徴であろう。
そこには、性とは本来こうした地平から語られるべきものなのだ、という赤松の矜持も見え隠れする。近代にまで夜這いの風習は残ったが、やがて売春産業の公的整備や、「教育勅語」という社会の純潔教育によってその姿を次第に消していく。それは、そのまま村社会の終焉をも意味していた。かつて、夜這いの主体となっていた若い男性たちは大挙して大都会へと押し寄せ、そこで職を得て家族を作った。そして、彼らは故郷へは戻らなかったのである。かくして、売春産業は都会に根付きそれまで伝統的であった地域的な性の習慣は、野蛮の烙印を押されたまま、歴史の彼方へと静かに退陣していったのである。
赤松の活き活きとした語りは、そうした時の流れ社会の意識の貧困への裏返しのようにも感じられるのだ。

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