説教するその心持ち
こんな私でも、何故か気付かぬうちに説教をしている事がある。
たいがい、3年前によく人に言われていたような事を3年後くらいに、やっと直し終わったくらいに意気揚々と人に説いているというのがオチである。
それはたぶん私が「こんなに頑張ってここを直して今があるから、凄いだろう」と言いたいだけなのだけれど、心を許した人だとそれが止まらない。
この「今がある」という事に関してどれほど自信があるのか、非常に滑稽である。どんな「今」なんだよ。滑稽な現状が「今」である。
説教の効能は「この人はそんなにそこを考えたのにもかかわらずここが抜けている」とかその説教主が「どれだけ他人に説教されて生きてきたか」という事がよく観察できるという事である。
という事は、説教は、説教主自ら自分を晒し上げる危険な行為、そして、説教された側からすると非常に有効な、人間観察の機会であって、これを失ってはならない。
よって、人は、説教を続けた方が良いし、説教される事も続けた方が良い、と私は山手線の中乾いた唇を無意識に舐め「リップ塗れよ」と思いながらここに記しつつ次の予定を考えて眠くなるのである。
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