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私の「痛みと赦し」: 心の一番奥底の思い

私の中での「痛みと赦し」をあらかじめ言語化しようと思い、
いまの思いを綴る。

これから記載する文章には、とてもセンシティブな内容が含まれている。
苦手な方はブラウザバックをお願いしたい。











私の「痛みと赦し」 :心の一番奥底

◆ はじめに

2021年7月20日、同じ職場で隣の席にいた2つ年下の後輩が(恐らく人身)事故により命を落とした。晴天の霹靂というのにふさわしいほど、あまりにも突然の出来事であった。没27歳という若さである。職場の部長からは、ただ「事故」としか伝えられなかった。詳細を聞くこともできたかもしれない。ただ、どういう内容であっても、彼が戻ってこないことに変わりはなかった。私は脳内をフリーズさせることで乗り切るしかなかった。まともに考えたら、とても冷静ではいられなかった。体温が、頭に急激に血が昇ったような、ふらふらする感覚を覚えた。茫然自失であった。3つ年下の後輩は、この話を伝えられた時に涙を流していた。私より年上の先輩は、居心地が悪そうに神妙そうな顔をしているだけであった。それからの1週間は、まともに仕事が手につかなかった。気持ちの切り替えようがなかった。

その日より2〜3ヶ月前から、彼の様子がちょっとおかしいことは気づいていた。覇気がなく、声は弱々しい、目に力がなく、どこか暗い印象で生命力が感じられなかった。彼とは別プロジェクトではあったが、3〜4日前まで普通に仕事でも雑談でも会話していた。私が、職場では一番彼と交流があって仲が良かった。(恐らく)コロナによる環境変化と、仕事での何か悩みと、他にも何かあったのでは、と想像では思う。ただ、想像でしかない。生命力は落ちているようだったが、8月になれば彼のプロジェクトは落ち着く予定であった。あと少し、あと少しで良いから、…

◆ 痛み

職場で一番身近にいた私が、彼の支えになれなかった。支えになっていたとしても、まだ何か足りなかったのか。自分の無力さを痛感する、人生での一番重い痛みを抱えることになった。この気持ちは、もう墓場まで持っていくしかないのかな、と思いつつ。でもいたたまれなり、昇華したいと思いnoteに綴ることにした。悲劇と喜劇は紙一重である。「人間万事塞翁が馬」と思うしかないのだろうか。どうも、どうしても心の中でずっとモヤモヤを抱えながら過ごしてきた。

◆ その後

彼が持っていた仕事は、マネージャーが各メンバーに分担した。何事もなかったかのように仕事自体は完了していった。時間が経つにつれて、平穏な何気ない日常が戻ってきた。でも、ふとした時に彼のことを思い出し、心に突き刺さった。心が痛い。ぼんやりと歩きながら思う、彼の27年間が幸せな物であったと願いたい。一瞬の破滅を選んでしまったとしても、それは本意ではないと信じたい。そして、彼が27年間で身につけたものも、人生を諦めてしまったら水の泡のように儚いなと思う。生まれてから言葉を覚え、学校生活で学問を学び、社会生活を送る種々の知恵を身につけて大人になって、仕事もできるようになって。でも、それも一瞬の破滅で全て消えてしまうのか…と。ただ、彼が残したプログラム・ソフトウェアは現在でも活用されて、生きている。彼の全てが消えてしまったわけではない。また、私が彼のことを思い出すとき、それが一種のお墓参りのような気がする。

◆ 赦し

佐渡で「ビューさわた」という銭湯に入って空を見上げた時に、ふと頭の中に許可が降ってきた。

全部、自分を許そう。何があっても全部大丈夫なのだと。

彼は千の風になったかもしれない。ただ、自分にはまだ何か役割があって、何かできるかもしれない。使命があるとすれば、生きれるだけ生きるのが一番なのだろうと思った。

もし消えたい人がいたとしても、人に生きる強制はできないけど、
私にとってはあなたがいないと悲しいとだけは伝えたいと思う。

◆ おわりに

「痛みと赦し」は上述の通りである。

しいて言うと、世の中に漂う負の空気をなんとか突破したい。
全部ぶち壊したい。あとは、世界に優しくありたい。

「優しさ」とはなんだろうか、とよく思う。言葉の解像度を高めたり、低くしたり。言葉のあや、言い換えを考えたり。

優しさは、自分に対しても相手に対しても持ちたい。

KANA-BOONのVo&Gt.谷口さんは、「音楽で世の中の色々な大変なことを、全部壊したい。」といった内容をライブのMCで言われていた。

音楽いいな、自分ならベースやってみたいな。と頭の片隅にある。
ただ、自分の一番の武器・本職はエンジニアである。

システムで諸々解決する方が世の中の利便性を上げて、実用的だなと思う。
でも、システムだけではつまらないから音楽もやりたい。

システムで解決できない部分はきっとあって、そこは音楽でカバーできたらいいなと、ぼんやりと思う。両方できるのだろうか、自分。

生きていると人それぞれ色々ある。みんな違って、みんな大変。
一瞬の破滅を選びたくなる時は、誰しも一度はあるのではないか。ない人は健康で羨ましい。ただ、そういう時は、私の場合は嵐が過ぎ去るのを待つ。

美味しいご飯を食べて、よく寝て、じっと引きこもったり、時には遠出しながら、新幹線からぼんやりと遠い空を眺めながら、瞑想に近い状態にする。

そうすると、なんだか、全部許せるような気がしてきて、ちょっとずつ回復してくる。消えたいが生きたいに変わる。

◆ 最後に

「ベースを始めてみたい。」
「便利なシステムを作りたい。」

両方はじめるような気がしている。モチベーションはよくわからない。自然な心の赴くままに、直感が言っていることはだいたいOKである。

ここまで長文にお付き合いいただいた方には大変感謝したい。