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”犠牲と贈与” について思うところ

自分の行動が時々、まるで突撃するATMみたいだな、と思うことがある。

突然現れて、プレゼントして、居なくなる、ヒーローともちょっと違う、
怪しい、なぜ、どうしてなのかわからない、裏があるのか、

といった風に思われる雰囲気を醸し出していると思う。

サンタクロースとも違うし、全て無償の愛でプレゼントしているかというと、私の場合はちょっと感触が異なる。

本心では見返りを求めているのだと思う。

まずはgive&give&giveをして、最後にちょっとでもtakeが欲しい願望が出てしまっていると思う。

他者を救っているように見せて、一番救われたかったのは自分だった。

まずは困っている人を救いたい、でも自分が困っていたら助けて欲しい。

偽善かもしれないが、心の原動力の奥底はそうなっていると思う。

なお、坂爪さんには、”それは相手に負債を背負わせていることと同じだよ” と諭された。

どうして自分はこうなってしまったのだろうか、と振り返ってみた。

私はこの記事の前、今年4月あたりから、ある種、躁鬱のような状態に陥っていた。心療内科に通い、”心身症”と名付けられた診断書を受け取った。

”うつ”とも”そう”とも、医師には言われなかったが、案にそういうことなのかな、と勝手に思ったりした。

冒頭の話に戻る。私は、5月に佐渡に流れた。日本本島から逃亡するような気持ちになった。ただ、佐渡でハッピーになった私は、そのハッピーをシェアしたいと思うようになった。

佐渡から長野へ帰る日、両津港のお土産ショップで、友人 約10人に、お土産の宅配を頼んだ。一人あたり、お土産+送料込で約3000円使ったので、約3万円の出費になった。

お店の店員には、”こんなにも買う人は珍しいです!たくさん買っていただいて嬉しいです!!佐渡の飴をおまけしておきますね!!”と言われた。

そういうこともあって、心は晴れやかに思っていた。

特に見返りがなくとも、投げっぱなしでも、自分は送っただけで満足と思いたかった。配達日になると、”ありがとう!!!”というメッセージを友人からいただいて嬉しかった。

ただ、何も返信がない友人がいて、君にはもう連絡しないかも、とも勝手に思ったりした。いや、勝手に、自分都合で送っておいて、返事がなければ、関係を切るのか、と思われそうだが、やっぱり、”ありがとう”の一言が欲しいと思ってしまった。

返事が面倒なだけだったのかもしれない、忙しかったのかもしれない、受け取りだけしたかっただけなのかもしれない。それでも、いろんな都合があっても、受け取ったなら、受け取っただけでもいいから一言メッセージが欲しかった。その一瞬のメッセージさえ心遣いがない関係はもう続けられないと思った。

余談までに、お土産を送るよ!とある友人Kさんに言ったところ、

Kさん:「気持ちだけ受け取るよ!モノは全然なくても大丈夫だから👍」

とメッセージをいただいたパターンも嬉しかった。

そう、物質を受け取りたくないなら、受け取ったらお礼しなくちゃ、と負債・貸しに思うなら、断ってもらった方が助かるのだ。

両津港→新潟港へ移動中のジェットフォイルの中でも、ネットワークが生きている限り、友人に「佐渡のお土産を贈りたいと思い、どうかな?」と連絡をとってみた。

結果、佐渡汽船 新潟港 お土産ショップでも、追加で友人10人に宅配を頼んだ。一人あたり、お土産+送料込で約3000円を使ったので、また約3万円の出費になった。変わらず、心は晴れやかに思っていた。

宅配が、レモンみたいだなと思った。

時は立ち6月上旬、私は沖縄に旅立った。沖縄を満喫して、元気をチャージした私は、また友人にお土産を送ってみたいな、と思った。

冒頭の佐渡のお土産を送った人とは別の、まだお土産を送っていない友人に連絡をとってみた。

主に2パターンの返事に分かれた。

・「気持ちだけ受け取るよ!モノは全然なくても大丈夫だから👍」
・「ありがとう!!!送ってもらえるなら、お願いしたい👍」

結果的に、沖縄でも、15人くらいにお土産を宅配を頼んだ。沖縄から本島は、航空便になるため送料がちょっと高かった。一人当たり、お土産+送料で4000円くらい使った。約6万円の出費になった。

宅配が届いたあとは15人から”ありがとう!!”をもらい、
うち3人から、"何かお返しするね!"と言ってもらい、
その人の地元のお土産が届いた。

お金を犠牲に、お土産を贈与し続けてきて、何か掴むものがあったのかというと、よく分からない。

多分、モノの贈与だけでは関係性は生まれないな、と思った。
それは鋭く坂爪さんにも指摘いただいた。

坂爪さん:「結局は、いかにお互いにリスペクトがあるかどうかだよね。
それを伝えないと、一度きりの関係性になるよ。君は点を打っているかもしれないけど、連続性がないね。」

私:「本当にその通りですね。。」

と腑に落ちた気持ちになった。

本心は、何も犠牲にせず、物理的なもの(金銭含む)は何も贈与せず、
気持ちでリンクしたいのだと思い直した。

なので、ATMな自分からは卒業しようと思う。

ただ、金銭を伴わないキャッチボールはたぶん不器用である。
どうしたらいいのか、経験が浅くて五里霧中の中、ふわふわしている。

きっと次の記事に続く。